私は今、現役JWであるにも関わらず、個人的に祈る事をしていない。

 

なぜかと言うと、私はJW組織の事が大っっっっっっっっっっっっ嫌い…

→いや小さい「つ」が多すぎる…んだけどもどれだけ嫌いかよぉく伝わってくる…そうだろぉ?キョロキョロ

(M-1グランプリ2019で注目された「ぺこぱ」風否定しないツッコミ)

 

…なんです。そのJW組織を導いているとされているのはエホバ神。

私にとっての神は、JW組織が教えるエホバ神だけなんです。

(これは、他の神を想像できないという意味にすぎません。)

 

JW組織が大嫌いで、JW組織に反感を抱いている私が、JW組織を導いているとされているエホバ神に祈る気になれるわけがありません。

私の願いをエホバ神が聞かれるはずがないと思ってもいます。

だから祈らない。

 

でも私は、祈りには人を強める力があるとは思う。

 

「自分の祈りを神が聞いて下さる」との確信を持っている人が祈ると、実際に神が聞いているか聞いていないかに関わりなく、その人は、祈りは聞かれている感覚を抱くわけです。

そうなると、その人の感情や精神に良い影響が及ぶのだと思う。

 

さて私は、祈りについてこんな冷めた見方もしている。

 

JW達が祈りで願い求める事柄のほとんどは、実は、祈らなくても自分の力で何とかなるのではないか?と考えるようになった。

 

あっでもですよ、自分の力で何とかなる事柄であっても、その事を祈りで願い求めた後に物事が上手く運ぶと、神は祈りを聞いてくださったと感じるのも理解できるんですよ。

その体験を繰り返して神に対する信仰が強くなるのも理解できる。

たとえそれが間違った思い込みであったとしても…。

 

でもね、覚醒した私からすれば、間違った思い込みって、ヤバいよヤバいよ。ポーン

→いや出川さんのまね!…したい気持ちは分かる、俺も憧れてるから!キョロキョロ

 

さて、祈りによってすべての問題が解決するかというと、そんな事は絶対にないわけです。

祈っても変えられない現実というのもあるんです。

そういう問題(どうにもならない問題)について祈る時は、そういう問題の解決を祈るより、その問題にしっかり向き合えるよう祈るとか、精神的な強さを祈り求めるのなら意味は大いにあると思う。

神が祈りを聞いて下さる事を確信している人がそのような祈りをするなら、その人は本当に強められると思う。

でも覚醒した私からすれば、それは思い込みの力なんだと思う。

 

思い込みの力、その思い込みが間違っていようが正しいものであろうが、その力は人に作用するのは確かだと思う。

でも、どうせなら正しい思い込みの方が絶対にいいに決まってる。

なぜなら、間違って思い込んでいたことについて気づいた時、ダメージは大きいから。特に宗教関係はそう。

 

だからこそ、思い込みに至る過程で、徹底的にリサーチすることが大事なんです!

もうあれです、「この教えの矛盾、間違えを炙り出してやろう」という、徹底的に潰す位の気持ちでリサーチした方が絶対いいですよ。

だって、それで矛盾、間違えが見つかれば信じて束縛されずに済むし、逆に矛盾、間違えが見つからなければ、超強力な信仰の土台になるわけで、悪い事は一つもないんですから!

 

なぜそれをしなかったんだ! Why JW1世 people~!

→いやそれ厚切りジェイソン!…俺もよく真似したっけなぁ~。えー

 

話が脱線しましたが、自分の思いの丈を書きなぐりました。

 

滅茶苦茶な文章になりましたが、それだけ私の思いがストレートに表現されているという事でご勘弁を。