いつも何かにせかされているような気がする。

 

何もせずボーっとしていると、「こんなんじゃダメだ!」とダメ出ししている自分がいる。

 

ちょっと面白そう、楽しそうと思ってやってみたくなっても「ホントに始めるの?今から?」「続けられるの?」「中途半端はダメだよ」と自問自答して、結局やらないでいる。

 

そんな自分の心の奥を、過去に向かって、ゆっくりとのぞいてみた。

 

正直、それすらも怖かったし、面倒だったし、とにかく拒否反応が凄かった。

 

でも、少しずつやってみたら、できた。

 

少しずつ、小さな穴を掘り進めるように、心の奥に向かっていった。

最初は、たったスプーン一杯分の土しか掘れなくても、自分にOKを出した。

いや、自分にOKを出すだけでも、そこまでに結構苦労した(笑)

 

相当な時間がかかった。

年単位でかかったけれど、掘り続けた。

 

で、気が付いてきた。

 

もの凄い数の「べき」が、自分をがんじがらめにしていたことに。

 

・「石の上にも三年」。始めたら辛くても3年間は続ける「べき」

・中途半端なものや稚拙なものは、人前に出してはいけない。ちゃんとした成果を出す「べき」

・怠けてはいけない。ボーっとなんてせず、まじめに常に行動する「べき」

・世の中は競争。負けてはいけない。常に努力する「べき」

・世間体は大切。そんな生き方、そんな人生の選択、ヒトサマに見せられるの?世間から認められるような、恥ずかしくない生き方をする「べき」

 

などなど(笑)

 

ざっと思い付いたことを挙げただけでも、これだけの「べき」が出てきた。

 

実際、自分の心の奥底に向かって掘り進める中で、もっともっとたくさんの「べき」が掘り出された。

掘り進んでいって「カツン」とツルハシの先に感じるものがあったら、たいていの場合、それは「べき」だった。

ま、ツルハシを振ること、2回に1回は「カツン」とぶち当たるような感じだったけれど。

 

「べき」ってなんだろう?

 

生きていく上で「べき」って必要?

 

「べき」を大切に、一生を送る「べき」?(笑)

 

そもそも「べき」って誰のために存在するの?

 

そんなことを、掘り出された「べき」の山を目の前にして、僕は考えた。

この、考える過程でも、けっこうな時間を費やした。

途方に暮れていた、ってのが近いかも。

今思えば。

 

で、出た結論。

「べき」は全部捨てても、十分生きていける。

 

こんなもの、いらない。

 

たぶん、「べき」って自分以外の「誰か」が、自分をコントロールするために作ったものなんだろう。

もし、みんなが「べき」に従って良い子にしていたら、そりゃあコントロールしたい人からすれば扱いが楽でしょうね。

 

あと、気が付いたこと。

「べき」は自分で考えることを、そして自分で決断することを放棄させる力も持っている。

 

自分で考えることを放棄したら、それは奴隷だ。


僕は「したい」で生きていきたい。

 

・好きな人を大切に「したい」

・好きな人を喜ばせ「たい」

・日々、大好きなことを「したい」

・好きなものに囲まれて生活「したい」

・楽しかった~!と言えるような人生を送り「たい」

 

だから、自分で考える。

自分で決断する。

 

僕は、「べき」を捨てる。