例えば、車いすの人に、

「自分の足で走って来い」とは、誰しも思わないだろう。


ましてや「立ち上がれ。」とすら、期待しない。


白い杖をついた人に対して、

「あの看板には、何と書いてありますか?」と

わざわざ質問する人は、いないだろう。


むしろ、その人がフラフラと危ないところへ行きそうなら、

見知らぬ他人であったとしても、何の見返りも求めず、

とっさに安全なところへ誘導するのではないだろうか。



見かけでわかる欠点がある人に対して、

その人ができないであろう、難しいことを期待したり、

仕事として、お願いすることは、ほぼ絶対にないだろう。



外見上にもわかりやすい欠点であれば、

それが出来なかったからと言って、誰もなんとも思わない。


むしろ、それを期待した人の方の神経を疑う。


できない事があれば、出来る人が、代わりに動いたらいいだけ。


(私は、外見上、すぐにわかる欠点がある人を否定したいわけではなく、、

そういった人の中には、底抜けに明るくて、人の心に火を灯したり、

素晴らしい音楽が作れたりする、天才的な要素だったり、

ただそこにいるだけで、人を癒す超人的な能力を持っている人もいると思っている。)



しかし、性格の欠点や、能力の欠点

(判断力・知識力・理解力・記憶力・家事力)などの

内面的な欠点は、外見からでは判断できない。


なのに、内面に欠点がある人に向かって、

なぜか、その人にとっての一番の困難を、

無意識に期待してしまうことが、なんと多いことか。。。




そこに気が付くのに、私はサラリーマン生活を通して、数十年かかった。



そして、必ずしも、全ての人が、

自分の能力が最大限に発揮される環境や会社で

働いているわけではない。


むしろ、その人にとって、なぜか一番困難な環境で、

何十年も気づかずに働いたり、生活していたりする人もいる。





なんと、それが同僚Bだ。。。


営業苦手、事務苦手、ファイリング苦手、PC苦手、スマホ苦手、

集中力なし、技術なし、役職なし。。。。



何十年もずっとアパレル業界に居続けて、

このうち何か一つでも得意なところがあればいいのだが、


本当に、彼は、感心するくらい、何もできない。

仕事の全てが困難に見える。



(しかし、彼は、運動神経がいいし、見た目も若く、若い女性にモテるので、

運送業とか、スポーツジムのトレーナーさんにでもなっていれば、

もっと飛躍したのではないかと、私は勝手に思っている。)



本当に、なんで、ヤツは、この業界にいるのだろう。。。


そして、他の同僚たちは、些細な事でクビを言い渡され、

どんどん会社を去っていく中、

なぜ、同僚Bは、何十年も高給を受け取りつつ、

会社勤めを継続できているのだろう。。。



そろそろ穴ぼこに落っこちてもいいはずだ。

しかし、穴ぼこの気配すら、一切ない。



彼と2人だけで出向先に行っていると、

私が依頼された仕事の7割をこなすことになってしまうので、

これでお給料の金額が同額だったとしても、腑に落ちないし、


私の方が年下で、家族構成的な面からいっても、

お給料の額面は、彼よりも下なのだろう。と思うと、

毎日、私は、イライラ、モヤモヤしていた。



そんな状況で、丸2年半ほどたったのだが、

そんな私も、やっと気が付いた。



彼は、外見からでは全く判別できないタイプの

欠点のある人(弱者)なのだ。




ただそれだけだ。



だから、仕事の依頼主である出向先の人も、

彼を雇っている会社の社長も、彼のヤバさに全く気が付かない。


(今のところ、彼のヤバさに気が付いたのは、

中国人の工場さんと、他部署(合併先の会社)の人、この2人だけ。)



私は、足の不自由なひとに、歩くことを求めたりしないのと同様、

この同僚Bにも、仕事で期待することを一切やめた。


この同僚Bにイライラする。という事は、

少なからず、「期待をしている。」という事だからだ。


予定よりも仕事が進んでいなかったとしても、

「だって、しゃーないやん。」と思うことにした。



イライラ・モヤモヤしなくて済む。







ということで、神様。

私、気が付いたよ!


だから、そろそろ、もう1ステージ上にあげて下さい。笑