二度目の冬の遠野放浪記 6日目-13 野田稲荷神社
大雪原のど真ん中に立つ御社に近付くには、何処に足を踏み込んで良いものか。
外周の畦道を行ったり来たりするうち、簡素な柵を発見。どうやら冬以外は、ここが道になるらしい。
動物だってこの雪の上を歩いているのだ……道標に従っていけば必ず目的は果たされるはず!
雪に埋もれた大地に延びる一筋の道、ここが俺が遠野で歩く最後の道になるかもしれないと思うと、一歩一歩にとてつもなく重い意味を感じる。
しかしやはり道は簡単に目的を果たすことを許してくれない。
御社は目の前に見えているのに、途中で横に曲がったり、遠ざかったり。深い雪の中を突っ切るまでの根性がない俺にとっては、さながら見えない壁に行く手を遮られる迷路のようである。
間違った方向に進んでいることに気付いては戻り、ときには深い雪だまりに足を突っ込んで(´・ω・`)な気分になったり。
俺にとってはこの一歩一歩が、遠野で過ごした三年間という時間の証。人によってはまだ三年、俺にとってはもう三年。遠野の全てを体感するという夢の行く先は、結局まだまだ見えてこないままだ。
白い畑の中を彷徨うこと半時間、ようやく遥か遠くに見えていた鎮守の森が、もう手を伸ばせば届くほどに近付いてきた。
朽ちかけた古い鳥居が、ここまでの道程を労うかのように、優しい顔をして立っていた。
境内は木々に守られ、殆ど雪が無かった。この一角が、遠野にとって紛れもない特別な場所のひとつなのだということがわかる。
遮るものなど何もない大雪原の向こうには、まだ沈むのを待っていてくれる最後の夕日が眩しく輝き、遠野の全てを優しい光に包んでいる。
この神社は野田稲荷神社といい、聞けば欠ノ上稲荷神社・程洞稲荷神社・村兵稲荷神社に次ぐ遠野で4番目に古い神社なのだとか。
しかし先輩三社に比べれば有名なわけではなく、ここを目的に遠野に来ました、という人はいないだろう。うらぶれた感のある境内や御社の様子が少々物悲しくある。
本殿内には今でもモチや鯛などの供物が捧げられ、季節を問わず地元の人に愛され続けていることが感じられたことが救いか。
もう少し待てば夜が来て、その後にはまた朝が来る。この神社と一緒に悠久の時間の流れに身を任せることができたら、どんなにか素晴らしいだろう。しかし俺はまだ遠野の人間ではない。その時間は遠野の人が過ごす時間であって、俺にはその資格がない。
もうすぐ訪れる日没の前に、俺はまたこの鳥居をくぐり、街へ戻らなければならない。背後から迫る暗闇に追い付かれれば、俺は現実に帰ることができなくなる。
それでも良いと思ったことは何度もある。しかしその度に、優しい幻に背中を押されて俺は前に進んできた。これから俺が置かれる立場も変わり、一層辛い現実が待っているかもしれない。それでも俺は、前に進むことだけは止めない。それが遠野で出会った全てに対する俺の答えだと思う。
初恋のような三年間が終わろうとしている。
つづく。
二度目の冬の遠野放浪記 6日目-12 最後の黄昏
このあたりから、ようやく松崎町に入っただろうか。
真っ白な大地に落ちる影はもうかなり長くなっていた。
数軒の家が集まって暮らす小さな街と出会い、別れ、俺は少しずつ見知った土地へ近付きつつあった。
ここまで来れば、後はほぼ走り慣れた道。冬になりすっかり光景は変わっているが、この一本道を走る爽快感と僅かばかりの哀しさは、季節が移ろっても変わることがない。
右手の遠方に見えていた早池峰山は姿を消し、代わりに貞任高原の風車群が見えるようになった。
やがて道は猿ヶ石川にぶつかり、薬研淵へ。
二日前、全く同じアングルから写真を撮っているが、あのときは重い雲が垂れ込めるお昼前だった。今は快晴の夕暮れ。こうまで表情が変わるものとは。
二日ぶりに薬研淵に戻ってきた俺は、大通りから外れて市街地方面へ向かう猿ヶ石川の土手に走り出した。
このあたりの何もない田園地帯のど真ん中に、一ヶ所だけこんもりとした林に守られた一角がある。あそこにも間違いなく何かがあるようだ。
二日前は何だか雪と風に行く手を阻まれ、近付くことすら憚られるようだったが、今は俺を遮るものは何もない。雪の中に踏み込むことに対しても、恐怖心を上回る好奇心と興奮を感じている。
恐らくあの場所が、三年間にわたる遠野旅行において最後に訪れる場所になるだろう。
つづく。
二度目の冬の遠野放浪記 6日目-11 谷地のゴンゲ様
俺は真っ白な誰もいない道を、トンプソンと一緒に走り続けていた。
最初は遠くにミニチュアのように見えていた街並みも、歩を進めるうちに次第に大きく近付いてきた。
大抵は川を越えると地名が変わったりするものだが、このあたりは必ずしもそうでないようで、地図を見ても自分が今、土淵にいるのか松崎にいるのかよくわからない。
山裾に見えるのが松崎や光興寺の街並みだろうか。俺がいるあたりは丁度、土淵と駒木、白岩の境目に当たるらしい。
また少し、先程と雰囲気が変わったような気がする街を走り、分かれ道では取り敢えず面白いものがありそうな方に進んでみる。判断基準は直感だ。
谷地高瀬自治会館という建物の脇に、ふたつの御社が仲良く並んでいる。
調べたところ、これは谷地のゴンゲ様として地元で親しまれている神社とのことだ。
自治会館は土淵町土淵に所在するが、この神社は松崎町白岩の所在であるらしい。丁度ここが町境に当たるようだが、何故敢えて境界線を挟んで自治会館と神社が立っているのかは謎だ。
赤い屋根の御社は、中が仕切りでふたつに分かれているという珍しいタイプの御社だ。遠野郷八幡宮の十二支社に似ているが、他には殆ど見掛けたことがない。
左側の御室は稲荷大明神が祀られている。御狐様の小さな像がかわいい。
左側は青麻岩戸三光宮となっているが、御札の前にいるのはやはり御狐様だ。
青麻岩戸三光宮は中風退散、海上安全の神様だという。石碑にも神社の名前が刻まれている。
中風とは、悪い風(気)に中って起こる病気のことで、現代では脳の障害やその後遺症のことを指す。
またこのふたつの神社の他、ちょっとひっそりした感じだが黒い屋根の御社も鎮座している。
内部には黄金色の菩薩様が祀られている。
神道と仏教が混在してきた歴史があるのだろうか。それとも、元々ふたつの御社は全く別のものなのだろうか。
小さな神社故か、これ以上のことは調べてもわからなかった。ここもいずれ本当の由来を知る人がいなくなり、歴史の狭間に消えて行く運命にあるのだろうか……。
つづく。
二度目の冬の遠野放浪記 6日目-10 雪解け待ち
一匹のネコに導かれるままに、俺は何もない田園地帯を歩き続けた。
遠くに街並みが見えてきたが、あれがいったいどのあたりなのかはわからない。
太陽は早くも傾き始め、浮かぶ雲と山々との境界線が次第にくっきりと見えるようになってきた。
早池峰山の御姿から察するに、このあたりが丁度土淵と松崎の境目あたりだろうか……。
俺をここまで連れてきた小さな使者は、何時の間にか姿を消していた。ここからは自力で先へ進まなければならない。
ふと、何もないはずの真っ白な畑の中に、小さな鳥居が立っているのが見えた。
この時分は視界を遮るものが何もないので、得てして何かを発見し易い。
一度気になったものを素通りするのは、遠野の街歩きにおいては罪である。後先を考えてはいけない。
取り敢えず俺は、適当な場所から畦道に下り、あの鳥居を目指してみることにした。
畦道は必ずしも、真っ直ぐに走っているわけではない。元々通行を目的としていないからだ。
近付いたと思ったら遠ざかり、ときには深みに嵌り……それでも気合と持ち前の無計画さで、少しずつ鳥居に近付いてきた。
鳥居の脇には小さな木が植えられており、ただの通行人であれば誰も気付かないほど小さな祠を守っていた。
周囲には当然、何もない。本当に何もない……。
祠はかなり傷みが進んでいるようで、外壁と扉はトタンで補強されている。
この祠は覆堂の役割を果たしており、中に本体の御社が安置されていた。
祠の周りに足跡はなかったのでここ数日の参拝客はなかったようだが、まだ瑞々しい蜜柑が供えられていたことから、雪に埋もれた畦道を歩いて此処まで来る人は他にもいるようだ。
御社には大神宮と銘打たれている。
地元の人以外には殆ど知られていない、俺もネコに導かれてこの近くを通らなければずっと知ることはなかったであろう小さな小さな大神宮だが、この地域にとっては掛け替えのない、比類なき大神宮である。
彼はこの大神宮を俺に教えたかったのだろうか……。
ということは将来、この日此処を訪れたことが何か大きな意味を持ってくるかもしれない。この出来事を深く心に刻んでおこう。
つづく。
二度目の冬の遠野放浪記 6日目-9 迷い人を導く
午前中は土淵を走り回った俺は、その足で隣町の松崎町を目指すことにした。
早速道に迷った。
暫く土淵とも松崎ともつかない小さな街を彷徨っていると、俄かに見晴らしの良い田園地帯に出た。
行く手には、真っ白な白粉でその頬を染めた早池峰山と、それを守護する寡黙な侍のような薬師岳の姿が見えた。
丁度山々の切れ目で、奇跡的にそのほぼ全貌が拝める場所。やはり遠野の最北端にして最高峰、その美しさは他の山々に比肩を許さない。
こんなに素晴らしい光景を拝めるから、寄り道と迷子は止められないのだ。思わず気持ちが昂り、ペダルを漕ぐ足も軽くなる。
とはいえ、今現在俺が道に迷っているという事実は変わらないので、どうにかしなければならない。
遠野の中でも田舎に属するであろう小さな街は、奥に進むにつれて早池峰から齎された雪に深く覆われ、少しずつ俺から体温と前進速度を奪う。
最早目的がある旅でもなし、とことんまでこの袋小路と付き合おうと考え始めた矢先、思考の迷路に何処から迷い込んできたのか、一匹のネコが俺の前に飛び出してきた。
ネコは暫し俺を見詰めた後、俺に同行を促すかのように確かな足取りで歩き始めた。俺もこのネコに引き寄せられるように、後について行った。
雪の上を歩くスピードはネコの方が速い。俺は少しずつ引き離されそうになるが、その度にネコは立ち止まって振り返り、俺が追い付くのを待っているかのようだった。
次第にネコと俺は街から離れ、何もない田圃のど真ん中を歩いていた。
彼はいったい俺を何処へ導こうとしているのだろうか。これは果たして神の思し召しなのか、それとも……。
つづく。