母を統一教会から救出したい思いで書くブログ

母を統一教会から救出したい思いで書くブログ

母を統一教会から救出するためのブログ。

3人の子育てをしながら、フルタイムで働いています。
そして下の子が生まれた2010年、母が統一教会に入信していることを父から聞かされました。
当惑、憤り、不安、さまざまな気持ちでした。
まずは敵を知ろう思い文献を読みましたが
知るほどに、恐ろしさに尻込みしています。
まだ母とは面と向かって私が反対している意思を伝えたことはありません。
そうこうしているうちに4年も経過してしまい、
そろそろ精神的な不安が限界になりました。
毎日心が折れそうです。
助けてと誰かに叫びたくなる気持ちで日々過ごしています。

このブログは、母を救出するために私がしてきたことの記録を書きたいと思っています。
子供が小さいのでなかなかPCに迎えないほど毎日が精一杯ですので、更新は気が向いた時にしかできません。

同じような経験をされた(されている)方、元信者の方からのアドバイスをいただけたら嬉しいです。
信者の方からの批判的なコメントは、受け付けていません。

よろしくお願いします。m(_ _)m


いままでの系譜・・(更新中)
2004年 母入信
2005年 私 結婚
2007年 長男誕生
2010年 長女次女誕生
2010年夏 父から母と統一教会の関係について聞かされる
2010年秋 不安でたまらなく、統一教会問題の記事をUPされている方に直接連絡をとり、家族の会を紹介いただく。早速、父とともに相談会に参加する。ここで、この問題は父に任せ私は子供を第一に、子育てに専念すべき、とのアドバイスをうける。
2010年冬 父に任せても何も進展しない。父からの話はいつも同じ内容。母と話しても話にならない。反対の意思を伝えるとものすごい剣幕で「○○(私の名)がどうなってもかまわないというの?!」という。凄まじいやり取りの話を何度も聞かされる。
2011年~2013年秋
母との接し方に戸惑いながらも反対する姿勢を示すことも怖くてできない日々が続く。文献を読み、家族の会にも何度か参加。父からは相変わらず母の愚痴を聞かされる。母の話を聞くにつけ、「なぜ母が」「なぜ母は信じるのか」という考えから、母が悪いような気がしていた。
2013年夏 建売の戸建て購入
 この頃の私は母とは決別する思いだった。新居の住所も教えたくない。実家で暮らすことももうない。老後も何もできない。子供たちを会わせることもしたくない。
2013年秋 
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夢を見ました
まさにいま
目が覚めて、また眠れそうにない。

夢の中で、私は不治の病だった。
もうすぐ"引越し"の日。いよいよその日が来るのだ。


夢の中で、
私は不治の病でも全く普通に生活出来ていてどこも痛くない。ただ、そこはかとない不安がある。私自身、なんの病気か理解してない。

実家の常備薬を整理してる私。
ああ、これを8錠飲めば、目が覚めないで逝ける。
明日、これで私は最期の日になるんだ。
両親に、話さなきゃ。

引越し前日の朝、食事時。
明日は引越しで、かつわたしの死ぬ日だということはみな分かっている。別れは辛いけどどうにもできないし仕方がない。
母が作った朝食を父と食べようとしてる。
これ私のかな?と置いてあったサラダを指差して母にたずねると
ああ、それはおばちゃん(母の妹)のだから食べないで
と。
おばちゃんが来るんだ…聞いてなかったな
引越しだし私の最期の日で母も大変だから助っ人として呼んだんだろう。
もうすぐ到着するらしい。
連絡がきたりでバタバタして席に着いて一緒に食事をする様子のない母。

ねえ、ママ。

最期のときの話をしよう。

そして、残される父と母のこと。
父は、統一信者の母と、残される。
その前に、私が逝く前に、母に話さなきゃ。

私は反対だ、止めて欲しい って。

心の中でそう話そうと思いながら、
さらに心の奥では自分が死ぬというのに母に言いたいことを言えるチャンスだと、やっとそのときが来たんだと、ホッとしていた。

ねぇママ。

何度も母に呼びかける私。
やっと席に着く母。

父と母を目の前に、私は説明した。
この薬を飲んで私は逝く。
明日でお別れだと話す。
頷き、静かに聞く父と母。
そしたら急に未練がましくなってきて。

もう一度、病院で診て貰った方がいいかな?
だって私、死にたくない。
子どもたちを置いて、死にたくない。
ダメだったとしても、最後の望み
万が一にでもよくなってるかもしれない。

そんな話をした後、いよいよ母に伝えることを伝えなきゃと思ったけど、
母はまた誰かと電話で話したりインターホンが鳴ったりで落ち着かなくなった。

ねぇママ。
大事な話、あるんだ

ねぇママ。

何度も呼びかけて、でもなかなか落ち着いて話せる状況にならない。

ねぇママ。


そこで目が覚めた。

夢なので、なぜ引越しの日=死ぬ日 なのかは謎。

引越すことへの私の漠然とした不安(もちろんこれは、母に対する不満不安も含まれる)が映し出されたんだと思われる。

夢の中で、夫と子どもたちは出てこなかった。

母の救出に関して私自身が何とかするしかないと思っていることの表れか。それとも夫も子どもたちも助けてくれないということだろうか…


結局母に言いたいことを言えなかった…。