四世跡目 本因坊道的(小川道的) | 囲碁史人名録

囲碁史人名録

棋士や愛好家など、囲碁の歴史に関わる人物を紹介します。

黒 本因坊道的:白 安井春知 黒7目勝ち(御城碁 貞享元年12月16日)

 

本因坊道的の墓(本妙寺 道知・秀策と同墓)

 

 碁聖・本因坊道策には「道策の五弟子(五虎)」を始め多くの優秀な門人がいたが、その中で跡目に選ばれたのが五弟子の一人、本因坊道的である。
 昔から神童や天才児という言葉があるが、小川道的はまさにそうであった。
 道的は寛文9年(1669)に伊勢国松坂で生まれ、道策に入門した年月は不明であるが、13歳で六段格と伝えられており、「囲碁史上最大の神童」と謳われている。
 初段になった時期も不明だが14歳のときに師匠道策と互先で二局打ち、どちらも黒を持った方が一目勝っているので、すでに名人と互角の力量を持っていたことになる。
 貞享元年(1684)に道策は道的を跡目とし、同年、御城碁へ初出仕、安井春知に勝利して老中より十人扶持を下賜される。
 翌年も御城碁で安井春知の先番に勝ったため寺社奉行は手合いを七段で進めるよう指示する。寺社奉行が手合いに関与することは極めて異例であった。
 碁聖・本因坊道策を凌ぐ逸材として期待された道的であったが、元禄3年5月7日(1690年6月13日)わずか21歳で夭折している。
 道的の死後、道策は佐山策元を再跡目に立てるが、策元もまた25歳で亡くなり、以降臨終間際に道知を指名するまで跡目を立てることはなかった。
 本因坊道的の墓は、本因坊家の菩提寺、巣鴨の本妙寺にあり、墓石には五世本因坊道知、棋聖(後聖)と称される十四世跡目・本因坊秀策の名も刻まれている。
 また京都寂光寺にある墓碑にも二世名人・中村道碩らと共に名前が刻まれていた。