次女の入学に合わせて、いよいよ仕事をやめました。院長にも仕事仲間にも引き留められましたが、私の気持もわかってくれて、院長は、復帰の時は、是非また戻ってきてと言ってくれました。円満な感じで退職できて、やれやれでした。

さて、4月には学校の長女のクラスと次女のクラスの保護者会に顔を出しました。うちの子の学校は、子供1人につき、親が1回はPTAをやるのが基本になっているので、この1年の間に2人分のPTAの役員をやってしまいたかったので、どちらに行っても手を挙げて、広報と庶務を引き受けました。広報は普通は保護者が呼ばれない行事に行って取材ができるのでおもしろそうだと思いました。更に、読み聞かせの会にも入りました。ちょっと欲張ったかもしれませんが、仕事がなくなることを考えれば、時間も体力も問題なくあると思いました。

今までとは全く違い生活が始まり、学校の朝自習の時間に教室に入って本の読み聞かせをするのは楽しかったです。PTAの仕事は1学期に1、2回学校に行くだけですが、結構楽しかったです。ランチに行くほどのママ友はできなかったけれど、読み聞かせのママ達とお茶をして色々話を聞くのは勉強になりました。

でも、夏休みに入ったころから、この生活が当たり前になると、来年復職した時、子供達にはキツイかも、という予感がしてきました。そこで、考えたのが、時々はママもお仕事に行くよ、という態勢をとることです。職場にもパートの看護師はいましたし、最近は単発のアルバイト的な看護師の仕事もあると聞いていました。私の時間に余裕がある時に、そういう仕事を入れるのは、家族にとって程よい緊張感の刺激になると思いました。

そこで、看護師の転職サイトを調べてみると、アルバイト的な仕事も沢山紹介してくれそうなところがいくつかありました。ところが、実際に問い合わせたり登録してみてわかったのは、看護師のアルバイトを紹介するより、本音は転職先を紹介したいサイトが多かったです。おそらく、単発のアルバイトの紹介ではあまりお金にならないのでしょう。その時見つけたのがこのサイトです。単発、短期のバイトに正解でした そこで、単発の仕事が多いMCナースに登録して、私の都合が良い日に、単発で看護師バイトをするようになりました。

子育て中のバイト看護師の那須野みい子です。夫は美容師、小学生の娘が二人で、期間限定で専業ママを満喫しています。

私が子供が生まれてからも病棟の看護師を続けられたのは、学童保育や、気心が知れてうちの子のことを面倒見てくれるご近所さんいてくださったことなど、周囲の方々のおかげで、この環境でなかったら私は病棟勤務なんて絶対できなかったです。つまり、私はかなり恵まれた環境で仕事を続けてこられたのです。それでも、小学生になった長女を見ている内に、今の内に子供と一緒に色々なことを楽しむ時間を持っておきたいと思うようになったのです。そして、次女が小学生になるのに合わせて、仕事をやめました。産休以外で仕事をしない生活は初めてです。看護師をやめたいわけではなかったので、復職する時期を決めてから仕事をやめることにしました。結論は、1年後復帰と決めました。あっという間だろうとは思ったのですが、1年にしたのは、私が家にいる生活に、私も含めて家族が慣れすぎてしまうと、復職した時に、家族で協力して生活するスタイルに戻すのが大変になると思ったということがあります。1年なら、まだ私が働いていた時の生活スタイルの余韻を残しておけそうです。もう1つの理由として、もっと期間が長くなると、私自身がダラダラしてしまいそうだと思ったからです。

仕事をやめたらやりたいことは沢山ありました。毎日家にいて、学校から帰ってきたときに子供たちを迎えてあげられます。学校の授業参観や保護者会、参加可能な行事は全部出て、学校のボランティアなんかもしてみたいと思いました。これ、避けたいと思っている方が多いみたいですけど、私は子供が通う学校の行事に参加して、学校の様子や子供の様子を、自分で見たり、肌で感じたかったです。子供だけではなくて、パパにもちょっと楽をしてもらいたいと思いました。

私が小学生の頃、父が長く入院したことがあり、当時の私にとって看護師さんは白衣の天使そのものでした。病室にいてくれると安心で、頼れるお姉さんでした。専業主婦の母親と同じくらいの年齢のベテラン看護師さんは、女性にも色々な生き方があることを当時の私に悟らせてくれました。

そして私も看護師になりました。あの、父が入院していた時の看護師さんのように、安心して頼ってもらえる存在になろうと、ずっと病棟勤務をこなしてきました。結婚し、子供が生まれてからも、夫や両親、子供達にも協力してもらいながら頑張ってきました。ところが、自分でも意外だったのですが、長女が小学校に入り、子供同士で約束したり、一緒に遊びに行ったりする最初の自立の時期を迎え、そんな様子をもっと見守ってあげたいと思う気持ちが出てきました。看護師をやめる気は全然なかったのですが、長い人生の中で、一度ぐらい子供達のこと、家族のことを第一に生活する期間があってもいいのではないかと思うようになったのです。子供達に思い切り甘えた思い出も作ってあげたい、自分もそうしたいという気持ちです。子供たちがどんなお友達とどんなふうに遊んでいるのか、学校はどんなところなのか、もっと自分で見たり肌で感じておきたかったのです。そして、それをするなら今でしょう!と思いました。でも、私が病棟をやめたら、職場は困るだろうとも思いました。でも、私も離職していった看護師のカバーをしてきたのだし、長い目で見れば許されることなのではないか…。そんな葛藤を乗り越えて、しばらく家族と一緒に過ごす時間を作ることを最優先にしようと決めたのです。

初めまして。

納豆で有名な茨城県水戸市で、美容師の夫、小3の長女、小1の次女の4人家族で暮らしています。那須野みい子です。私は、看護師で、私たち夫婦が出会ったのは彼が私の当時勤めていた病院の患者だったのが縁です。

夫が独立してお店を開く時に、物件が東京や千葉より安い水戸にやってきました。都内で開業が夢でしたが、家族で暮らす家のことも考えると、お店だけに資金をつぎ込むことに二の足を踏みました。水戸は、丸井やエクセルもあるしシネコンもあって、ショッピングやレジャーに困ることはなく、生活は便利す。中心部から離れれば自然は豊かだし子育てをするには良い所に来たと思っています。

 

 

東京からの距離があるせいか、開業前に住んでいた千葉県の柏に比べるとフルタイムで働いているママは少ないと思いました。パートの方が多いです。私は、今は期間限定専業ママになったのですが、それまでは中規模病院の外科病棟勤務で夜勤もありました。パパは美容師ですから火曜日が休みという勤務体制。これは、世の中の多くの家庭からみれば、かなり変わった勤務体制の両親だと思うんですよね。娘たちは、私が土日に勤務の時は、土日オープンの学童的なところに行っていました。二人とも文句も言いませんでしたが、本音は、この子達も日曜ぐらい家でゆっくりしたいだろうなぁとは思って見ていました。周りの人たちは、「子供たちは自立するわよ。」「親が一生懸命やってる姿を見ているから、子供もがんばれるのよ」などと励ましてくれました。確かに、子供達は自立心が強く育っていると思います。子供の気持ちもありますが、実は、私自身が、看護師の仕事は続けたいけれど、長い人生の中で、一度ぐらい専業主婦というか、子供達のことを第一にする生活もしてみたいと思っていたのです。人生100年時代になりました。その100年のなかで体が動ける間はずっと仕事第一に過ごすことがベストなのだろうか?後で年を取って振り返った時に、別な過ごし方をしていてもよかったと後悔するような気がしたのです。