日本コーチ連盟の定義するコーチングとは、
「理解することを前提としないコミュニケーションである」という。
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【理解】 《名・ス他》
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逆説的に考えてみよう。
コーチングとは「理解することを前提とするコミュニケーション」ではない。
理解することが前提ってどんな時だ?
理解の意味から察するに、人の気持や立場、状況がよくわかっていることが前提になる。
例えば、
・気持ちを代弁してくれる友人
・背中の痒い所をピンポイントにかいてくれる人
・夕飯に何を食べたいかを当ててくれる人
みたいな感じか?
理解することが前提でコミュニケーションをしている人ってどういう人だろう?
という問いが出てきたとき、子供の頃の自分だったら喧嘩のしない夫婦生活だと思っていた。
お互いが相手を尊重していて、助け合っていて、愛し合っている夫婦がそうだと思っていた。
でも、熟年離婚だったり、芸能人の不倫騒動などが広がる昨今で、そんな夫婦は本当にいるのか?と怪しい。
自分の父母の関係が果たして該当するか? 否。
理解することを前提としたコミュニケーションというのは、あると思う。
例えば、
・仕事の取引き
・上司部下の関係
・夫婦生活
・学校の友達同士の会話
・学校や予備校などの先生の授業
わかっていることがあって初めて成り立つものばかりだ。
でも、完璧に理解しているものってあるのか?
・仕事の取引き先に失礼なことをしてしまう
・苦手な上司や、言うことを聞かない部下に頭を悩ますこともある。
・なるべく旦那と一緒にいないようにする妻
・表面的に取り繕う学校の人間関係
・先生の教え方がわからない生徒
・生徒の行動に頭を悩ます先生
そこで考えられる原因にあげられることが性格であり、相性であり、価値観だ。
自分のせいにするならば
もっと相手に気を遣っていれば…
あの時周りに気を付けていれば…
もっと勉強していれば…
と自分の理解力を否定する人もいたり、
人のせいにするならば
性格が合わないんだよね…
相性が合わないから。
価値観が違うんだよね。
そういった言葉で、これまで多くの人が別れていった。
つまり、理解することを前提としたコミュニケーションは理想的ではあるものの、
「理解している」前提が成り立たないと、性格や相性、価値観によって別れてしまうことが多いということになる。
では、次の記事で「理解することを前提としないコミュニケーション」とはどういうものかを書いていこうと思う。