サンフランシスコの日本食レストランで一度や二度働くと、嫌でも色んなレストラン情報が耳に入ってくる。“あそこのお寿司はおいしい”から始まり、“日本町のあのレストランのオーナーは、ああ見えてもまだ三十前だ”とか、挙句の果てには“あの店のツネオがギャンブルにのめり込み、店を売らなきゃならないそうだ”とか、そういった情報まで入ってきてしまう。なので、違うレストランで働こうとしている時には、一言まわりのひとたちに伺いをたてると様々なアドバイスが頂けてしまうのだ。
そうは言っても、新参レストランもかなり増えてきているわけで、色々なところで長年働いている寿司シェフ達に聞いても“○○寿司?はて、そんなところは聞いたことねえぞ”といわれるところも増えてきている。A’s Sushi Barは、そんなレストランの中の一つだった。
仕方が無いので、サンフランシスコ内のレストラン批評をインターネットで探し、“たった一人のウェイトレスしか注文を聞けないレストラン”と書かれていたのは気になったが、とりあえず面接に行ってみることにした。
人が足りていなかったのか話はすぐにまとまり、その日の夕方からは、もうすでに働き始めていた。(ここはウェイトレスとか皿洗いといったきちんとしたポジションがなく他の厨房作業も含め全ての事を教えられるシステムである)先輩ウエイトレスやキッチンの人達がみんな丁寧に教えてくれたのだが、一つだけ不思議なことは、半分以上の人達が入ったばかりのホヤホヤ新人だったのだ。“えーっと、えーっと、この葱はこのくらいの長さに切って、それで、(マニュアルをパラリとめくり)...すいませーん、私も先週入ったばかりなんで。”
その日は1ヶ月前に入った人と1週間前に入った人と、三日前に入った人とで働いた。泣かせるのは、色鉛筆で綺麗に書かれた手書きマニュアルが妙に重宝した事だった。
2,3週間もすると最初にあった変な不安もどこかへ消え、このまま暫くここで働いていこうと考えていたりもしていた。
ある日、出勤し、身支度をしているとホールのほうから凄まじい怒鳴り声が聞こえてきた。1週間に1,2度しか来ないオーナーがその日は寿司シェフとして入っていたのだ。このオーナー、とにかく怒鳴る、なじる、罵倒する、なのである。
お店が開店してもまだまだ続く。よーく聞いているとピントがかなり外れた事をも言ったりもしている。んでまた、客が居ようが居まいが、ぜーんぜん関係無しなのである。
そうこうして居る内にお客もどんどん入ってきて、たくさんの人達が今か今かと注文する機会を狙っている。その日は、このお店で1年の経験というウェイトレスがあたふた注文をとっていたので、他の2人がヘルプで入る事になった。しかし、しかしである。どんなにそのヘルプが10年や20年以上のウェイトレスのキャリアをもっていても、注文を取らせてはもらえない。とにかくオーナーは怒鳴り続け、その声たるやエンドレステープにでも録って永遠に流し続けてるのでは...と思うくらいの勢いなのだ。たまに耳を澄ますと“ばかものがぁ”とか“クズ達め”といっしょに“寿司が追いつかない!!”ともいっている。
なんだよー。寿司をにぎるペースが、注文のペースに追いつかないってだけの事じゃん。
途端にバカバカしくなって、家に帰った途端、辞める事を決意したのであった。
【ここでうまく働いていくには】
他のレストランで経験をした事のある人がこのお店で働き続けるのは、まず無理である。それでも、どうしてもここで働くというのなら、オーナーの出てくる日は避けること。ウェイトレスの仕事は出来るだけ避け、厨房または、皿洗いに徹するとの意思を告げる事。小さな失敗でも1週間くらいは言い続けるらしいので、耳栓をするくらいの度胸が必要。