おはようございます音譜

香りのセラピスト・ともこですニコ

 

先週は何だかとっても忙しく

あっという間に

1週間が終わってしまいましたあせる

 

ブログもちょっぴり おサボリで

申し訳ありませんあせるあせる

 

 

 

さてようやく

不登校新聞20周年の集いの

お話をば音譜

 

この新聞の成り立ちは

前回の記事にて

簡単にご紹介しましたが

 

集いでは

新聞の創設者であり

フリースクールの草分け

東京シューレの生みの親

奥地圭子代表理事に

 

不登校新聞を切り盛りする

腕利き編集者の皆さま

 

不登校経験者の

ステキな若者たち

 

そして

 

奥地圭子さんと共に

不登校新聞の代表理事を

なさっている

 

少年事件や子どもの権利に

心血を注がれる

多田弁護士と

 

お会いしてみたかった方々が

勢揃いキラキラ




「登校拒否」という

呼び名から始まり


日本社会における

不登校の歴史は

もう半世紀にもなること


当時はまだ

あまり知られていなかった

長期休み明けの子どもの自殺


厚労省がまとめていた

1年間の日にち別

自死統計データに


最初にスポットを当てたのは

不登校新聞だったこと

などのお話に加え


奥地さんが紹介されていた

「始業式の朝、中二焼身」

を大きな見出しとする


同じ紙面に

二人の中学生の自死が

取り上げられた


うっすら黄ばんだ

20年前の新聞記事は

ずっと脳裏に焼き付いていますぐすん




記者を通してじゃない

当事者の声


その子に寄り添って

学校以外の道もある

ということを届けたかった


「苦しみの歴史」を変えたい




奥地圭子さんが

教育者として

また一人の親として


自分の子どもだけじゃなく

日本中の子どもたちの命を


真剣に思い

向き合って生まれたのが

不登校新聞なのですね




登校拒否は問題行動とされ

一貫した学校復帰政策が

とられていた創刊当時から

比べると


この20年で不登校は

「悪いこと」ではなくなり


文科省の指針にも

「どの子にも起こりうる」

こととして


支援体制の必要性が

明確にされ

全国に知られるようになったのも


こうした方々の取り組みが

あったからこそ


社会は急には変われませんが

私たち親の間にも

理解は進み


少しずつ

しかし着実に


不登校に対する認識は

変わり始めています



長くなりましたので

まずはこの辺でニコ


今日もお読みくださって

ありがとうございましたラブラブ


ステキな1日を

お過ごしくださいねキラキラ