ある日、ふと思ったこと。
何をどう勘違いしたのか、ここ数年櫻井さんはけっこう安定しているんだと
思っていました。
妻子持ちの身になったことも、ソロを経てまた安心できるバンドに戻ったこともあって・・・
安定というか、こう、一回り大きくなったんだろうな~と勝手に思い込んで
妻子持ちの身になったことも、ソロを経てまた安心できるバンドに戻ったこともあって・・・
安定というか、こう、一回り大きくなったんだろうな~と勝手に思い込んで
いました。
でも、やっぱりインタビューなんかを読むと「人って本当に変わらない部分は
変わらないんだなぁ」と思います。
もういいじゃん、そんなに考えなくてもいいじゃん、幸せでいればいいじゃん、
もういいじゃん、そんなに考えなくてもいいじゃん、幸せでいればいいじゃん、
と思うのですが・・・やっぱり彼は彼で。
状況的に幸せなのに苦悩し続ける彼のことを「かわいそうに・・・」と思います。
状況的に幸せなのに苦悩し続ける彼のことを「かわいそうに・・・」と思います。
そして、そんな彼を心の底で常によりどころにして、何かある度に
心の中で頼っている私は、もしかしたらズルイのかもしれないと思いました。
本当は私が自分自身で考えなければならないことや、
自分自身で闘わなければならないことを放棄して、
彼の言葉にすがって、救われた気分になる。
それって、自分の中で彼を身代わりにしているようなモンじゃないかな、と
彼の言葉にすがって、救われた気分になる。
それって、自分の中で彼を身代わりにしているようなモンじゃないかな、と
思ったのです。
だって、絶対に同じ気持ちになんかなれないし、もしなれたとしても
わからないのに。
本当は自分で答えを探してグルグルしたり、意味を求めて苦しんだり
本当は自分で答えを探してグルグルしたり、意味を求めて苦しんだり
すべきなのに、その悩みを苦しみを迷いを全部彼に託して、
明らかに外側から見てるんです。
彼が答えを見つけるのを。意味を見出すのを。
もしくは、答えがわからずに、意味を見つけられずに彷徨うのを。
彼が答えを見つけるのを。意味を見出すのを。
もしくは、答えがわからずに、意味を見つけられずに彷徨うのを。
いつも彼が正直に、自分の心を正確に伝えようとする姿勢であることに
付け込んで(実際伝わるかどうかは別として)、
さも私も同じだというような顔をして同感して、
彼が必死に掴んだ答えの欠片や彼がもぎ取った意味の一部を、
「そうそう、そうなのよ」と自分の中に取り入れて、自分が見つけたような
「そうそう、そうなのよ」と自分の中に取り入れて、自分が見つけたような
気になっているような気がするのです。
なんか、それってズルイなぁ、と思って。
なんつーか、オイシイとこ取りというか。
なんつーか、オイシイとこ取りというか。
べつに、おいしくもないけどね、彼の答えは。
といっても、どんな努力も、どんな苦労もするつもりないけどサ。
早い話が、現実で何かにぶつかった時に、あっちゃんに逃げる自分が
どうかな、と思ったのです。
まぁ…今んとこ、特にぶつかるモノもないからいいのだけれども。