二日前まで小学生キャンプのボランティアとして4日間子供達と一緒に安全に生活出来るよう神経を消耗してきました。疲れましたがとても楽しい思い出になりました。
その疲れからでしょう、二日連続でぐっっっすり眠りました。そして
今日(昨夜)見たとてつもなく長い夢がとても考えさせられる夢でしたので、忘れぬ内に...

私は週末になると野球をしに、少し遠く(電車で1時間程度)のグラウンドへ行きます。しかしその日はもっと遠くの山奥にあるグラウンドを使うということでいつもより時間がかかるグラウンドへもちろん電車に乗って行きました、楽しく仲間と野球をし、いつも通り帰ろうとしました。すると、大阪で大地震が起きたそう言われ山から大阪の街を見下ろすと山を切り開き作った街は土砂崩れによって全て無くなり山肌が剥き出しに、大阪市は津波からか、もともと埋め立てられたからか、高いビルが辛うじて立っているだけで一面が海。伊丹空港は大部分がその海に浸かり、飛行機は2台程度しか使えず、また滑走路が途切れているため、十分に助走をできるか分かりません。普段溢れんばかりの人々は逃げ切れなかったのかみんな建物に落ち潰され共に海の底へ。残った人々はその日会社が休みで街のはずれにある家に帰っていた数十人の大人と、同じく遠足や遊びで山奥など、とにかく高いビルの無い街はずれに遊びに行っていた子供達。
みんなが「お母さん!家に帰りたいよぉ」と泣き叫ぶが、電車はもちろん動かず、車も数台しか無い。その車も移動できるのは限りがあり、海を渡らないと自分の家へは戻れない。船は幸運にもモーターボードが3台ほどあり、また物資を運ぶためのフェリーのような大きな船も2台ほどあったが、なぜか乗っているのは偉い大人のみ。剥き出しの山肌をなんとか大人の人が運転した車で下り、土砂崩れで出来た岸へ着いた。家族や友人の安否を知りたいという自分の欲を何とか、いや、無理やり抑え、「そんなに船が大きいならせめて子供達だけでも乗せて欲しい」とお願いしたところ「これは物資を運ぶ船だから人は乗せられない。そんなことをしたらパニックになってしまう。」と偉い大人は手を差し伸べようとはしなかった。何も物資届いてへんやんけ。!!!
結局海を渡るには10人程が乗れるモーターボード3台しかないのだ。

そんな土砂崩れで出来たゴツゴツした岸には沢山の子供を乗せた車が次々と到着し、少しずつ子供が増えていく。「早くぅ。お母さんのとこに帰りたい!」と泣き、怒りながら私に詰め寄る何人もの子供達。「そりゃ、俺だって帰りたいわ!」叫びたかった。しかし自分は19歳(今年20歳)子供と言うわけにはいかない。なんとか抑えつけるしかなかった。
子供達をなだめつける一方、私自身も周りの大人たちに励まされた。「モーターボードは戻って来て必ず自分の番が来る」と。でも私も大人も気付いていた。「そんな何回も往復できるガソリンなんかもう無い。みんな沈んでしまったんだから。たぶんこの子供達もみんなは乗せられない、」

大阪市に家があるという子供達も何人も何人もいた。しかしこの事実(海の底)どう伝えれば良いのか...多分子供達はこの海が大阪市だという事に気付いていないんだ...
別に諦めろと言いたいわけじゃ無い。ただ、大阪市の向こう側にある私も住んでいる北摂地域は海には沈んでいない事が分かっていた(山から見えた)
だから本当は優先順位を付けたかった。可能性のある子供達を先にボートにのせて反対側の岸へ行って欲しい願わくば自分も...
でもそんなことをしたら他の子供達は...

ここで目が覚めました。

あなた達はどうしますか?もしあなた達が私と同じくらいの年だったらどうしますか?
自分自分という訳にはいかない。、でもそんなこと言ってられない。
10代後半の人はどんな行動をとると思いますか?

私なら......。