停電が続いた昨夜から、今夜は電気も復旧し、落ち着くことができました。
地震の瞬間は家(関東)にいたのですが、初めのフワフワとした横揺れからだんだんと強くなっていくのにあわせて縦揺れがきて、家全体がきしむ音はするし、液晶テレビが倒れそうになるのを押さえたり、なにがなんだかわからない、軽くパニックになりました。
とても長く感じた揺れに怯えながら、気がつけば停電がおき、点いていたはずのテレビが映っていませんでした。
幸いにも家全体に被害はなく、家族も全員が揃っていたので、救いでした。
その後も強い揺れが数回あり、外に避難。
ちょうど小学生の帰宅時間で、歩道橋を渡らずにそばのフェンスに皆がしがみついていました。
近所の様子を見ても倒壊などの被害はなく、停電のために信号が使えなくなっていました。
すぐに警察官がきて、対応してました。
山の方では、木が相当揺さぶられたのか、杉花粉が大量に飛散し、土煙のようになっていました。
停電のため、ろうそくや電池などを買いにと出かけるも、道は渋滞。あげくにはお店は閉まっており、結局買えずじまいでした。
電気以外のライフラインは無事で、水、ガスは使えました。
また夕飯の支度が奇跡的に地震前に済んでいたので、日が高いうちに食べてしまおうと準備し、夕飯を済ませることができました。
日が陰ると一気に寒くなり、ストーブやこたつなどの暖房が使えないため、重ね着をしたりして暖をとりました。
これまでの間はずっと携帯ラジオをつけて、被害の状況を聞いていましたが、ツナミの予想高さや、震度の大きさ、聞くたびに耳を疑うような状態でした。
次々に聞こえるラジオからの情報は、ツナミで壊滅的被害が起きてるということ。
もうどこで何が起きてるのかわからなくなる位でした。
友人が宮城県岩沼市に住んでいるので、メールで安否を確認すると無事との連絡が来て、ひと安心しました。
ただ、職場から自宅まで戻るのには相当大変だったそうでしたが、自宅にいたご家族も自宅も無事だったとも再度連絡をもらい、改めて安心しました。
東京の知人はマンションの窓ガラスが割れ、下に停めていたクルマは屋根にモノが落ちてきて穴が空いてしまったが、ケガはなしとの連絡もつき、ホッとしました。
その他の友人とも連絡つき、無事を確認。
mixiでのマイミクさんたちも無事を確認できたり、良かった。
しかし一向に電気が点く気配がなく、防災無線では復旧の見通しはたたないとアナウンスがあったりと、途方にくれるばかり。
頼りになるのは携帯ラジオと懐中電灯に携帯電話のみ。
夜も9時近くなり、寒さもひどくなってきたので、布団でくるまり暖を取りながら、真っ暗な室内でラジオをただただ聞くだけ。
ずっと続いている余震にビクビクしながら、眠ることもできず、またカラダのどこかが揺れている感覚が残っていて落ち着きませんでした。
夜中になり、携帯電話の充電が少なくなり、クルマにカーアダプターがあるので、充電をしに外に出ると、街灯も信号も家の灯りも当たり前ながら無い、真っ暗な世界。
悲しいことにこの日の星空がとてもキレイで…
(街灯などの灯りがない分、夜空が際立ってよく見えた)
クルマのエンジンをかけ、暖房を付け、充電を開始。
カーナビのテレビでようやく目からの情報というのか、ラジオ(耳)から聞く壊滅的状態が目に飛び込んできて…
言葉を失いました。
どうしたらあんなになってしまうの?嘘でしょ?
怖くなりました。
クルマの中に居る間も余震がありました。
充電はガソリンのこともありますから、ほどほどにし、再び真っ暗な家へ。
その後、長野付近の地震など、何度とない余震で眠れない。
目を開けていても真っ暗。
早く夜が明けないものかと、こんなに強く思ったのは初めてでした。
明け方、1時間半ほど眠れたのでしょうか?少しだけ眠れていたみたいでした。
外は明るくなるもまだ停電は続き、室内は吐く息も白くなるほどの寒さ。
水・ガスは大丈夫なので、暖かいモノを飲もうかと準備をしていたら、パッ!と7時過ぎに電気が復旧しました。
16時間ほどの停電でした。
しかし朝は食事の準備ができず、買いだめしてあったカップめんで済ませ、午前中に買い出しに出かけました。
やはり、どこもペットボトルの水やパン、レトルトのご飯、カップめんが品切れ、品薄になっていました。
なんとか必要最低限の水やパンを購入できましたが、スーパーも混雑していましたね。
すでに電気が復旧したので、今度はテレビから見る、初めての災害状況。
ツナミでなにもかも無くなってしまった街。
信じられないほどのツナミの威力…
避難された方々の悲痛な思い、またお亡くなりになられた方々の多さ…
尋常ではない状況に言葉を失いました。
まだ私が住む地域はライフラインも復旧し、被災することはなく、こうしてただ、被災地の惨状を見るだけ、なにもできないもどかしさだけが残る、どうなっちゃうのと不安だけが募りました。
都内ではたくさんの方々が家に帰れなくなっていたり、本当に危機的状態にどうすることもできない…
ただ、今は被災地で避難している方々の健康状態の心配と、行方不明の方々の安否、お亡くなりになってしまった方々への慰霊を祈るだけです。
家族が離れ離れだったり、安否がわからなかったり、不安な夜を過ごしているでしょう。
またまだ被災地で救助を待っている方々も大勢いらっしゃいます。
寒さや空腹、のどの渇きなどが心配です。
地震の揺れの怖さ、今でも思い出してしまいます。
余震のたびにビクビクしてしまいます。
一個人でなにができるのかわかりませんが、地域や震度の違い、被害の状況は違えど、同じ地震を体感した身としては他人事とは思えなくて…
今は祈ることしかできませんが、どうぞ希望を持ち、生きましょう!
原発のことも、海外へのツナミ被害の心配があります。
まだまだ様々な不安は払拭できないけど、きっと立ち上がれます!
希望、忘れないで…
改めて家族の大事さや、ライフラインのありがたさ、命の大切さ、思いやりの気持ちの温かさ、たくさん感じました。
まだ余震などもありますので、引き続き気をつけて行きましょう!
ありきたりな言葉でしか伝えられないけど…
ごめんなさい。
☆かなり文章が支離滅裂気味でスミマセン。
地震の瞬間は家(関東)にいたのですが、初めのフワフワとした横揺れからだんだんと強くなっていくのにあわせて縦揺れがきて、家全体がきしむ音はするし、液晶テレビが倒れそうになるのを押さえたり、なにがなんだかわからない、軽くパニックになりました。
とても長く感じた揺れに怯えながら、気がつけば停電がおき、点いていたはずのテレビが映っていませんでした。
幸いにも家全体に被害はなく、家族も全員が揃っていたので、救いでした。
その後も強い揺れが数回あり、外に避難。
ちょうど小学生の帰宅時間で、歩道橋を渡らずにそばのフェンスに皆がしがみついていました。
近所の様子を見ても倒壊などの被害はなく、停電のために信号が使えなくなっていました。
すぐに警察官がきて、対応してました。
山の方では、木が相当揺さぶられたのか、杉花粉が大量に飛散し、土煙のようになっていました。
停電のため、ろうそくや電池などを買いにと出かけるも、道は渋滞。あげくにはお店は閉まっており、結局買えずじまいでした。
電気以外のライフラインは無事で、水、ガスは使えました。
また夕飯の支度が奇跡的に地震前に済んでいたので、日が高いうちに食べてしまおうと準備し、夕飯を済ませることができました。
日が陰ると一気に寒くなり、ストーブやこたつなどの暖房が使えないため、重ね着をしたりして暖をとりました。
これまでの間はずっと携帯ラジオをつけて、被害の状況を聞いていましたが、ツナミの予想高さや、震度の大きさ、聞くたびに耳を疑うような状態でした。
次々に聞こえるラジオからの情報は、ツナミで壊滅的被害が起きてるということ。
もうどこで何が起きてるのかわからなくなる位でした。
友人が宮城県岩沼市に住んでいるので、メールで安否を確認すると無事との連絡が来て、ひと安心しました。
ただ、職場から自宅まで戻るのには相当大変だったそうでしたが、自宅にいたご家族も自宅も無事だったとも再度連絡をもらい、改めて安心しました。
東京の知人はマンションの窓ガラスが割れ、下に停めていたクルマは屋根にモノが落ちてきて穴が空いてしまったが、ケガはなしとの連絡もつき、ホッとしました。
その他の友人とも連絡つき、無事を確認。
mixiでのマイミクさんたちも無事を確認できたり、良かった。
しかし一向に電気が点く気配がなく、防災無線では復旧の見通しはたたないとアナウンスがあったりと、途方にくれるばかり。
頼りになるのは携帯ラジオと懐中電灯に携帯電話のみ。
夜も9時近くなり、寒さもひどくなってきたので、布団でくるまり暖を取りながら、真っ暗な室内でラジオをただただ聞くだけ。
ずっと続いている余震にビクビクしながら、眠ることもできず、またカラダのどこかが揺れている感覚が残っていて落ち着きませんでした。
夜中になり、携帯電話の充電が少なくなり、クルマにカーアダプターがあるので、充電をしに外に出ると、街灯も信号も家の灯りも当たり前ながら無い、真っ暗な世界。
悲しいことにこの日の星空がとてもキレイで…
(街灯などの灯りがない分、夜空が際立ってよく見えた)
クルマのエンジンをかけ、暖房を付け、充電を開始。
カーナビのテレビでようやく目からの情報というのか、ラジオ(耳)から聞く壊滅的状態が目に飛び込んできて…
言葉を失いました。
どうしたらあんなになってしまうの?嘘でしょ?
怖くなりました。
クルマの中に居る間も余震がありました。
充電はガソリンのこともありますから、ほどほどにし、再び真っ暗な家へ。
その後、長野付近の地震など、何度とない余震で眠れない。
目を開けていても真っ暗。
早く夜が明けないものかと、こんなに強く思ったのは初めてでした。
明け方、1時間半ほど眠れたのでしょうか?少しだけ眠れていたみたいでした。
外は明るくなるもまだ停電は続き、室内は吐く息も白くなるほどの寒さ。
水・ガスは大丈夫なので、暖かいモノを飲もうかと準備をしていたら、パッ!と7時過ぎに電気が復旧しました。
16時間ほどの停電でした。
しかし朝は食事の準備ができず、買いだめしてあったカップめんで済ませ、午前中に買い出しに出かけました。
やはり、どこもペットボトルの水やパン、レトルトのご飯、カップめんが品切れ、品薄になっていました。
なんとか必要最低限の水やパンを購入できましたが、スーパーも混雑していましたね。
すでに電気が復旧したので、今度はテレビから見る、初めての災害状況。
ツナミでなにもかも無くなってしまった街。
信じられないほどのツナミの威力…
避難された方々の悲痛な思い、またお亡くなりになられた方々の多さ…
尋常ではない状況に言葉を失いました。
まだ私が住む地域はライフラインも復旧し、被災することはなく、こうしてただ、被災地の惨状を見るだけ、なにもできないもどかしさだけが残る、どうなっちゃうのと不安だけが募りました。
都内ではたくさんの方々が家に帰れなくなっていたり、本当に危機的状態にどうすることもできない…
ただ、今は被災地で避難している方々の健康状態の心配と、行方不明の方々の安否、お亡くなりになってしまった方々への慰霊を祈るだけです。
家族が離れ離れだったり、安否がわからなかったり、不安な夜を過ごしているでしょう。
またまだ被災地で救助を待っている方々も大勢いらっしゃいます。
寒さや空腹、のどの渇きなどが心配です。
地震の揺れの怖さ、今でも思い出してしまいます。
余震のたびにビクビクしてしまいます。
一個人でなにができるのかわかりませんが、地域や震度の違い、被害の状況は違えど、同じ地震を体感した身としては他人事とは思えなくて…
今は祈ることしかできませんが、どうぞ希望を持ち、生きましょう!
原発のことも、海外へのツナミ被害の心配があります。
まだまだ様々な不安は払拭できないけど、きっと立ち上がれます!
希望、忘れないで…
改めて家族の大事さや、ライフラインのありがたさ、命の大切さ、思いやりの気持ちの温かさ、たくさん感じました。
まだ余震などもありますので、引き続き気をつけて行きましょう!
ありきたりな言葉でしか伝えられないけど…
ごめんなさい。
☆かなり文章が支離滅裂気味でスミマセン。