今年の1月17日から、大学受験のための準備や様々な高校から大学への移行のためとして延々と家の中でダラダラとした日々を送っている。長い期間の、さしてやるべきこともない毎日。
これほど人を試す時間はないと、最近わかり始めた。能動的に動かなければ、どんどん怠惰な自分を主観的にも客観的にも感じるようになり、嫌気がさしてくる。それにつけて私は三年間の高校生活からひきもこりの一歩手前のような人間になってしまい、動けない・動かない自分をけなし、さらにまた動けなくなるという無限のネガティブの連鎖を作成することに成功してしまった。
この長期休暇に入ってからというもの、いつでも私の脳内では「仕事も何もせず、飯だけ食らう穀潰しめ、何もできないなら死んでしまえ、死ね、死ね」という文句がリピートされ続けている。私も、その言葉には最初から賛成している。
しかし、動こうともしている。なにも偉そうに大学の予備準備のために勉強を始めているというわけではない。自分の唯一将来にやりたいと願う仕事である作家業になんとか手を届かせられるよう、小説を書き始めた。それだけだ。
どうにかして、うすぼんやりと過ごすこの毎日と別れを告げなければならないと思い、短期バイトの申し込みもしたが、どちらものろのろと進めているだけなので、いまだに中途半端な段階である。
歩き出さなければならない。二本の足で歩かなければならない。
そうは思っていても、のんべんだらりと三年間過ごしてきたのだ、そうそう脚力は自分の思いについてきてはくれない。
だから私は一つ、これを克服するために周りの人間をよく見ることにした。
名前は出さないが、ある時居場所を探すために相談を持ちかけてきた人がいた。その人は今や、居場所は見つからなくとも居場所を探すために走り回る力をつけてしまった。自分は歩くことさえままならないのに、その人は走り回っている。
自分が恥ずかしい。彼が羨ましい。彼のような力が欲しい。
いきなり結論に飛んでしまうが、私はどうやら負けず嫌いか、見栄を張りたがる性格なようだ。明日から私は、少し自分に負荷をかけることにした。
時間があるときには本を読む、朝は早く起きてい小説やがられても家族の手伝いをする、夜は眠くなるまで新書など雑学を詰め込む。
出だしが悪かったのなら私は速度を上げて、追いつけ追い越せでやっていくしかない。
今日まで、家族には散々叱られ、文句を言われた。ならば明日からは文句など聞こえないくらいに何もかもこなしていくようにしてやろうじゃないか。
ひきこもりはやめだ。他人の批評はどうでもいい。ただ、自分からの攻撃くらいはかわせるようになる。生まれ変わりはしないが、変形するくらいなら落ちこぼれのろくでなしでもできるようになるだろうし、そうなれるようになりたい。
そう思うからこそ、今は思考を停止させて、体をとにかく動かす。
一言
結局、これが全てに共通する近道なんだろう。人が憧れる姿というものは、いつだって全力疾走する姿なのだから。