この、何とも言えない | 道標を探して

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。



 最近、楽しいと感じることが増えた。

 なぜそうであるのか、よくはわからない。ただ、なんとなく感じるところはある。
それは、自分がすごく自由になったことだ。以前のように閉塞感を感じない。

 相変わらず世界は自分に牙を向けているようにしか感じない。
けど、そんな世界から少し位は目を盗むことができるようになったと思う。
たとえば、帰り道をバラバラにして帰りたい道を毎日セレクトするようになったり
受験勉強を始める前にコーヒーミルで豆を挽いてみたり


結構美味しいよ

 音楽を聴くタイミングも重要なことがわかってきた。
僕の場合は家に帰ってすぐと寝る前かな。

 でも、この楽しい理由は一体何から来たものが原因なのだろう?
わかるのは夏休みに入ってから僕の生活は非常に鮮やかな彩りを増しているといったことくらいだ。

公園で受験勉強したり、近所の喫茶店を巡ったり、模試に行ったり、嫌いな教師やあの野郎へ呪詛を唱えてみたり

 まあでも、きっとキーワードは「自由」なんだと思う。本当に僕はすごく自由になった。
暗い感情を多くは持たず、何がしたいとか、これをなんとかしたいとか、そういった「転んでも前のめり、起きるときには石でもいいから拾え」と言ったような、宙が位の精神が、もち僕が一番安定していたときの復活してきた。

まあ、いいことだよね。

 停学になるときまでだって、それなりにはいろいろと間違えた方法を試していた。
確かにあれらはスリリングだったかもしれないけど、ちょっとやることに対してはリスクが大きすぎた行動だったね。それに、なにより大きく心に響かない。

 言ってみれば、無駄な時間だったわけだ。
まあ停学に関しては反省はしてるよ。後悔はしてないけど。


 まあ、あいつが「これこそ聖書だ」なんて言わなきゃ俺の人生はもうちょっといい感じだったのかもしれないけど(まだ根に持ってる)。

まぁ、停学云々はブログ記事検索で勝手に見てもらうとして、だ。

 僕の人生って、こんなに楽しいものでいいのか? ここまで楽しかったことなんて過去に一度たりとも無いぞ?

 いや、むしろ過去17年間の苦がここに来て多少は返済されたんだろうか。だったらいいよね。

 停学時の僕は、確かに僕だった。でも、あの僕は世界が非常に色あせて見えた。いい意味でも悪い意味でも、刺激が少なかったんだろうな。まあでも停学って言う非常に楽しい、そして興味深い体験をさせてもらった。あれからだ、世界が本当に自分を楽しませてくれているのは。

 でもさ、つまらないときって本当に視界が色あせてるんだよ。あれには驚いたね。聞こえる音もにごってる。会う人間はごく少数を除いて全員が僕の世界のエキストラ。パンに浮いたちいさな、点みたいな青カビが僕の世界だとしたら、他は全部白カビ。真っ白なんだよ。次第にじわじわと僕の世界も白カビに侵略されていく。ひどい世界だった。

 皆はどう? まあここに来るのは99%日本人だろうから、コピペみたいに
「ちょっとの不幸と幸運と、刺激に少ない人生」なんていった小市民的な回答が多いかもだけど。

・・・ちょっと風呂敷広げすぎちゃったね。

久々に書こうと思ったら案外色々溜まってたみたいだ。
やっぱりある程度はガス抜きしないとなのかな。ちょっと更新頻度上げてみようか。

まあ、ちょいちょいこれからは書いていくつもりではあるけど、まだ少しの間はこんな調子だろうなぁ。

まあいいか


   一言

俺は   あの高校が   大嫌いだ