たんたか短歌たんたかたん 別館 -3ページ目


たんたか短歌たんたかたん 別館-hikouki


ジーンのもとに帰還するとこだろうか、それとも別れを告げた後?


ホントはこっちでいきたかったんだけど、詠めなくてねぇ・・・・・ガックシ

短歌って不親切な詩形だとおもう。

俳句はもうこれ以下はないっていう文字数なんで、おのずから鑑賞する方も心構えが違う。

なんというか一点に集中された力みたいなインパクトがあるので、鑑賞する方もその一点に集中できる。

だが短歌は「もうちょいいうとね」みたいな部分や「飾り」の介入する余地が存在する。

その辺が不徹底というか、なんとも不親切な独りよがりな、そのくせ説明はしてるでしょ、ヒントはあるでしょ、見たいないやらしさに繋がるのだと思う。


そこを乗り切った、純粋な「みそひともじ」は大変素晴らしい。


先日若くしてこの世を去ったある「詩人」の言葉が胸にしみる





「短歌というみじかい詩を書いています/笹井宏之」



歌を詠むはしくれとして、この言葉を胸に刻む





たんたか短歌たんたかたん 別館-係留柱

某氏の命名によれば「猫の手」ともみえる、港湾や港公園に行くとよくある奴・・・・それが係留柱(ケイリュウチュウ)だ

いうまでもなく、船を岸壁につなぎ止めておくのがお役目の、普段は椅子にぴったりなあいつだ


提供を受けた写真からイメージを捻り出し、さらに妄想のスパイスで短歌を仕上げる

現在挑戦しているコラボ短歌なのだが、どうしても短歌としての独立性が保てない

ひ弱なイメージでは写真に寄りかかってしまい、短歌として意味のわからない歌になってしまうのだ


こんなはずじゃなかったのに、どうして、どうしてこうなっちゃうの・・・あたしがだめなのね・・・←(女々しい心境である)


係留柱は英語(たぶん)でボラードというらしい

ボラードの方が詠み易いので「ハイ、君採用」と即決した

船を係留するためのロープ、あるいはその行為は日本語で「もやい」、舫いという字を当てる

字数があるので強制的に動詞化してつかってみる、許されないかもしれないがいいのだ、俺がルールなのだ、ただし異論は受け付ける。

あれやこれやイメージを膨らませつつ、ウロウロ歩き回る

女にズームして、「この女になにかインパクトのある芸」をさせたい・・・という欲求に負けそうになる


そして負けた


振り向かせて台詞を言ってもらうことにする

なるだけ古臭い、陳腐な台詞が良い


そうしてなんとかまとめてみた短歌が・・・


ボラードに舫う女が振り向いて「待っていたわ」と告げるデジャヴュ


こんな適当なことでいいのか?俺

きっといいんだろう

まだ神罰は下っていない今日この頃である









山崎方代の短歌と出逢ったのは運命だったのかもしれない

思えば「サラダ記念日」以降、

「なんだ、これでも短歌なんだ」と軽いノリで始めたのだが・・・←今思えば赤面


「妊娠をしている妻の幸せの目方は現在56㌔」    


これが俺の記念すべき第一作であった。ひどいものである(冷静に考えると進歩がない・・・)


その後も、「見たまま、思ったまま、そのまんま」で歌詠みをしていたのだが

或る日、「お前の歌は川柳だ」と言われ

「悔しかったらこれを読め、同情するなら金をくれ」(後半はフィクションである)←古いっ!

と渡されたのが、方代の自選歌集「首」であった



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激しい衝撃に脳が揺れ痙攣をし白目をむく・・・・・・・・・ような感動は一切無かった

ただ静かに心に滲わたっただけである


以降20年相変わらず「見たまま、思ったまま、そのまんま」の俺である、が

滲みわたり、地下水脈となった方代の短歌が時を経て

俺の体の穴という穴、皺という皺からじわりじわりと滲み出してくる・・・ような気がする・・・・と思いたいのである





あの日方代の投げたマフラを、引き返せない穴を、とれてしもうた釘を

俺なりの形で詠みたいと思う今日この頃なのである