短歌って不親切な詩形だとおもう。
俳句はもうこれ以下はないっていう文字数なんで、おのずから鑑賞する方も心構えが違う。
なんというか一点に集中された力みたいなインパクトがあるので、鑑賞する方もその一点に集中できる。
だが短歌は「もうちょいいうとね」みたいな部分や「飾り」の介入する余地が存在する。
その辺が不徹底というか、なんとも不親切な独りよがりな、そのくせ説明はしてるでしょ、ヒントはあるでしょ、見たいないやらしさに繋がるのだと思う。
そこを乗り切った、純粋な「みそひともじ」は大変素晴らしい。
先日若くしてこの世を去ったある「詩人」の言葉が胸にしみる
「短歌というみじかい詩を書いています/笹井宏之」
歌を詠むはしくれとして、この言葉を胸に刻む
ま、TV東京がすきなわけです
今週はジュリア・ロバーツ特集だったわけで
しかもCMにアンジェリーナ・ジョリーとかがでてくるわけですよ
そう、そんなわけで 「吟じます」 ちがうかぁ!
某氏の命名によれば「猫の手」ともみえる、港湾や港公園に行くとよくある奴・・・・それが係留柱(ケイリュウチュウ)だ
いうまでもなく、船を岸壁につなぎ止めておくのがお役目の、普段は椅子にぴったりなあいつだ
提供を受けた写真からイメージを捻り出し、さらに妄想のスパイスで短歌を仕上げる
現在挑戦しているコラボ短歌なのだが、どうしても短歌としての独立性が保てない
ひ弱なイメージでは写真に寄りかかってしまい、短歌として意味のわからない歌になってしまうのだ
こんなはずじゃなかったのに、どうして、どうしてこうなっちゃうの・・・あたしがだめなのね・・・←(女々しい心境である)
係留柱は英語(たぶん)でボラードというらしい
ボラードの方が詠み易いので「ハイ、君採用」と即決した
船を係留するためのロープ、あるいはその行為は日本語で「もやい」、舫いという字を当てる
字数があるので強制的に動詞化してつかってみる、許されないかもしれないがいいのだ、俺がルールなのだ、ただし異論は受け付ける。
あれやこれやイメージを膨らませつつ、ウロウロ歩き回る
女にズームして、「この女になにかインパクトのある芸」をさせたい・・・という欲求に負けそうになる
そして負けた
振り向かせて台詞を言ってもらうことにする
なるだけ古臭い、陳腐な台詞が良い
そうしてなんとかまとめてみた短歌が・・・
ボラードに舫う女が振り向いて「待っていたわ」と告げるデジャヴュ
こんな適当なことでいいのか?俺
きっといいんだろう
まだ神罰は下っていない今日この頃である
早朝震度4でした←寝ぼけていなければ
ナカガワ君は言い訳ひどすぎでした←ギャグとしては秀逸
山崎方代の短歌と出逢ったのは運命だったのかもしれない
思えば「サラダ記念日」以降、
「なんだ、これでも短歌なんだ」と軽いノリで始めたのだが・・・←今思えば赤面
「妊娠をしている妻の幸せの目方は現在56㌔」
これが俺の記念すべき第一作であった。ひどいものである(冷静に考えると進歩がない・・・)
その後も、「見たまま、思ったまま、そのまんま」で歌詠みをしていたのだが
或る日、「お前の歌は川柳だ」と言われ
「悔しかったらこれを読め、同情するなら金をくれ」(後半はフィクションである)←古いっ!
と渡されたのが、方代の自選歌集「首」であった
ページをめくる
激しい衝撃に脳が揺れ痙攣をし白目をむく・・・・・・・・・ような感動は一切無かった
ただ静かに心に滲わたっただけである
以降20年相変わらず「見たまま、思ったまま、そのまんま」の俺である、が
滲みわたり、地下水脈となった方代の短歌が時を経て
俺の体の穴という穴、皺という皺からじわりじわりと滲み出してくる・・・ような気がする・・・・と思いたいのである
あの日方代の投げたマフラを、引き返せない穴を、とれてしもうた釘を
俺なりの形で詠みたいと思う今日この頃なのである
教授 「いやなに、小さな発見なのだよ」
助手 「すごくちっちゃな発見ですね(笑、てか教授、気付くのおそいっす」
教授 「小踊りしたわたしが馬鹿みたいぢゃないかっ!」


