朝方まで降っていた雨が止み始めている。この分なら昼前には晴れそうだな、なんて考えながら
僕はイグニションを回した。
8:20、君を迎えに行くには少し早かったけれど、僕は遠足の前日ワクワクして何時までも寝られず当日寝坊する小学生だったから、大人になって失敗しないようにほんの少し用心深くなったのさ。
8:34、君からのメール「9:15頃でいい?」
うーん、さすが僕が誘った人です。時間ぴったりに待ち合わせ場所に表れる女性とは縁がないのが僕の特技。
そんな君だから今日の特別な日を一緒に過ごして欲しかったんだ。
今月で閉店してしまう東京都八王子市のこれく亭へ向けて走り出した僕達は、狭い車内で取り留めのない話をしながら君は始めての、僕は過去のカレーハウスへ思いを馳せていた。
甲州街道を走り抜ければ銀杏の落ち葉がさららと音を立て、海沿いの町より一足早い秋の訪れを感じさせる。山並みも綺麗な紅葉で埋め尽くされていた。
「あれぇ、おかしいな」
「間違っちゃった?」
お約束どおりうろうろ迷いながらそれでも何とか辿り着いたこれく亭は僕の知っている佇まいではなかったけれど、木々に囲まれた立地と懐かしい看板は昔のままで、うん昔のままで。
「ようこそいらっしゃいました」
マスターの暖かい出迎えの声が心地よい。窓際の席に座った僕達は閉店前の限られたメニューから野菜カレー&ポークシチュー、僕はホットチキンの組み合わせをチョイスした。
普通は食後に飲むチャイも先にも飲みたくて(僕は朝食も抜いてきたんだ!)食前にオーダーした。少量の水とミルクで煮出した紅茶にシナモンとカルダモンのほのかな香り。
君も気に入ってくれたのがとても嬉しかった。
店内のスパイスの香りと静かに流れるピアノ協奏曲、ゆっくりと流れる時間、食後に再度頼んだチャイの甘い香りに包まれて思わず昔語りをする僕だったけれど、
不思議と君はずっと昔からそこにいたような気がしてきたんだ。
名残惜しかったけれど店を後にする。
始めてマスターと固い握手を交わす。込み上げるものがあったけれどカラリと笑って告げる。
「35年間お疲れ様でした」
これく亭を後にして海沿いの町へ向け秋の山並みを走り抜けながら、僕は。
あの時こうしていたらどうなっただろう?
ああしなかったらどうなっただろう?なんてIf doneを考えていた。
35年の歴史に幕を引くこれく亭への感謝と、思い出の欠片をつなぎ合わせて「僕には訪れなかった未来」を見せてくれた君への感謝を感じていたんだ。
そしてまた訪れる明日を愉しんで精一杯生きること。
その結果が自分の想像と違ってもそれもOK、父は父、僕は僕なんて妙に前向きになった自分に驚いたけれど
ただの感傷じゃなく明日への糧を与えてくれたこれく亭の思い出と君に、ありがとうと言おう。
海沿いのこの街も、今の僕もまだまだ捨てたもんじゃないさ。君を送り届け晴れやかな気持ちで僕は今日という日をを終えた。