昨日、母の葬儀が終わった。


77年の生涯だった。 


それまでは病気一つしたことなかった母。

2014年に子宮体がんのステージ1bと診断され、

子宮摘出と抗がん剤治療(パクリタキセル+カルボプラチン)

2017年に突然肺腺癌ステージ4、脳転移ありの診断を受け、ジオトリフで1年半、以降タグリッソで治療。


少し視力や筋力は落ちていたものの、脳や肺に顕著な変化はなく、1月までは普通に生活できていた。


今年の1月下旬、1人で散歩中に商業施設で倒れて脳神経外科に入院。以降寝たきりの生活になり、認知症の症状も出始め、2月上旬退院後、わずか10日ちょっとを自宅介護で過ごした後、今度は少し呼吸ができない時があり、呼吸器内科に入院。飲めこめなくなったので抗がん剤投与も終了。だんだんさらに食べれなくなり、飲めなくなり、その後数週間は緩和ケア病棟に入院。あっという間に逝ってしまった。


言葉も意識もはっきりしなくなる中、母と、唯一ちゃんと会話できたのは亡くなる1週間前。

前日に親戚一同が会いに来たことを喜び、「会えて良かった。ありがとね。」と、私の着てたコートを褒め、「おしゃれ心を忘れないで。」と言った。

その週は夕刻毎日、母に会いに行った。

唯一、会社を休み、一日一緒にいた日。

「親孝行できなくてごめんね。」と言ったら、「お母さんもだよ。」と言ってた。


亡くなる4日前の日曜に遠方に住む弟を連れていったときは、もう、目も虚ろで、あまりはっきり言葉が出なかった。作っていった蕎麦茶を吸ったスポンジで口をぬらしてあげたら「おいしい」といった。

「もうだめだ。」

弟の顔見て安心したのか、母がつぶやいた。


亡くなる週の頭から休んだ分の業務があり、母に会いに行けず、ただ、あまりに衰弱が気になり、水曜午後にやすみをとり、会いに行くはずだった。

その水曜の未明、息を引き取った。


もっと話をすればよかった、もっと一緒にいればよかった。もっと優しい言葉をかければよかった。

何より1月下旬、散歩に行った日、何でいっしょにいなかったのか。

後悔しかない。


ただ、最期は母が最も恐れていた痛みや息苦しさに一切苦しむこともなかったことが唯一の救いだ。

モラハラの継父も1月下旬までは介護放棄をしていたが、倒れて以降、暴言を吐かずやっと面倒を見るようになった。ずっと継父のモラハラに悩んでいたから、最後は優しく接してもらい、よかったんじゃないかと思う。


11年に渡ったがんの闘病から解放され、今は、母の魂が、心穏やかにいてくれることを願っている。


実はまだ、母の死をどこか理解できていない。

生まれてから今まで、母のいない世界で生きたことがないからだ。

少しずつ、いろんな瞬間で母がいない現実を理解するんだと思う。


母の遺骨の中から、肋骨の一部をもらい、弟と私で遺骨キーホルダーにいれ、持ち歩くことにした。


今年も一緒に桜を見に行き、秋になったら柿を買いに行き、いろんなところに連れて行こうと思う。