私の不幸はこの世でサイコーにスペシャルで、
私が耐え抜いた不幸に、苦しみに、
誰しもが涙し、誰しもが私を助けたくなり、誰しもが私をもてはやしたくなり、実際もてはやす。
そう思ってたww
すごく壮大なる不幸を抱えているという、壮大なる勘違いww
ようは、かまって欲しかったんです。
相手してほしかったんです。
私を見て見てー❣️すごいでしょー❣️
なんつってww
ウケるわー


イタい意味で、私は「特別な存在」だと思ってた。
んでもって、「フツー」であることが、 特別でないことが、イヤだった。
目立ちたがり屋の負けず嫌い。
しかも、負けるとわかってる勝負には、最初から出ない。
コスーいww
人はみんな唯一で、特別で、似たよな悩みをもっていて、世界の中心は各々であって、
この世がそんなふうに出来ている。と聞いてから、
優劣のためでなく、他人と自分を比較して、自分の持ってるもの出来ることに目を向けた時に、
少しづつ 「私は普通」「私は特別。あの人も特別」を 感じる(見える、が近いかもしれない)ようになり、
「私は普通」を受け入れられるようになった。
「特別」って、けっこうシンドいな。とか。
「特別」に固執…執着…してた時は、過去の不幸を握りしめてままだし、過去の不幸をずっと被ったままだし、過去の不幸の枠から抜け出せないし、、、
私の人生 ちぃーっとも楽しめない‼️
イヤダイヤダ‼️ そんなんイヤだ‼️
というわけで、私は「普通の人になる」と決めました。
特別だと思われたい、思いたい。
ワケのわからない執着を、捨てました。
たったそれだけで、ずいぶんラクになりました。
好きなことを好きなように楽しめて、好きなことを好きなように「好きだーーー


」と言えて、



」と言えて、決めたら、「あー 私って普通だなぁ」って自然に思えてきたのに、
変な個性が見え隠れしてきて、逆に変な人扱いされるようになりました。
外側の評価を捨てることで、愛しのワタシに集中できる。
もっと愛しいワタシが現れる。
こんなシアワセ、知らなかった。
これを知ってから、私は毎日ワタシを絶賛賞賛中です


みなさんも、たくさんご自身を褒め称えてみてください❣️