書き残しておくべきだと思っていたし、実際何度も書いてはみたが、どうしても辛かった。

今日で何回目だったか。
8ヶ月をかけてここまで来た。

そのうちに溜めていたものは、話すにも書くにも、事実とそれにまつわる心情とが絡み合いを繰り返して、随分と複雑なものになってしまった。吐き出しようにも難しい。

結果は随分と温情だった。
でも私にはたくさん力となってくれる人がついたし、周りの評判からして、その人たちが本当に強力であることは確からしかった。それだけでもう、十分に贅沢なことなんだと心から思う。誰かが不幸になるより、自分が幸せである方が、差の絶対値は同じでも、何倍も救われる。

私を救ってくれた彼らに憧れた。絶対にあんな大人たちになりたいと思った。


ぼんやりしていたらバスを間違った。
今日は驚くくらいに空が高いな。
ついで、妙心寺に寄った。




文章を書くのが好きなんだろうと思う。
曖昧な言い方の意味は、一文に技巧をこらしながら、文脈を紡いで、文章に仕立て上げることの疲労を多少ならずも知っていて、それを思うとなんだか、物臭い感情が私の心臓から末端までかけめぐる気がすることにある。ああそれはもう嫌いってことでいいんじゃない。そう片付けると馬鹿になれる。

こんな一銭にもならない文章になんて何の価値もなく、書く方はともかく、読む方はまったく時間の無駄遣い甚だしい。下手なビブラートのかかった素人のカラオケのように、音程をとり歌い上げることが既に凄いような次元の世界で、私はぬくぬくと自画自賛を繰り返している。

存在価値はゴミ程もないに決まっていることなんか承知していても、エンジンはなかなかかからない。バッテリーが弱っていて電力が足らないのか、モーターが壊れているのか。自分のフラストレーションに立ち向かうことに私は怯え切っているから、その原因究明に対立することすら不可能だ。才能なんか無くったっていいと開き直れる図太さと自認が持てない。

それでも時折炭酸のようにはじける血潮を感じることがある。

もう少し強く、クラッチを踏み込むぐらいのことなんだろうか。


私の馬鹿さ加減ったらないと思うこの頃。




こんな感じ
放ったらかしにしていた3ヶ月。
記録を残すべきかもしれないと何度かタイプはしてみていた。

思うことを書く。
鍵を差し込み回してみると、その内部は閉ざされる。
電気を消してみると、部屋は真っ暗になる。
密室となった空間はいまや外界との接触を拒んでいるし、暗闇となった部屋は、うってかわっての別世界だ。どこに何があるか知ってる。だがそれが本当にそのままかなんて、暗闇の世界では明言できない。

非日常は、まるでそんなスイッチをオンオフするかのように訪れる。私たちに対し余韻なく、様変わりした、ような、世界を感じさせる。それは至る所に転がっている。
人は、明るい外界、日常と、関係していなくてはならない。もしスイッチが降りていたのだとしたら、それは切り替え直さなくてはならない。
様変わりの世界だと錯覚したままでは、いつまでも心は所在ない。


何年か前に動画サイトで一度見てそのまま詳細を失念。
やっと見つけた。




取り合うものが金銀財宝でなく、オルゴール(ラジオ?)というのがいい。

なんとも不条理。
スーパーに並ぶ野菜たちの顔ぶれが、春を感じさせる。


食べることは幸せだ。
単純なはずだけど、とても難しいと思う。

どうやら雨らしい。
桜散らないでほしいです。




何度も何度も聴いた気がする。