*私たちは人生を歩みながら、いつ、何度になるかも知れないが、愛する人を失ってしまう。 それは避けられないし、防ぐこともできない。 私の努力で愛する人の死を防げるわけでもなく、もう好きじゃないで愛していないという人の感情をまた戻しておくこともできない。 努力して可能ならどんなに嬉しいだろうか。 それゆえ、人間というのは多方面にわたって素晴らしい存在のようだが、無力だと思う。

*良い考えを深めれば良い人になれて、良い人だけが良い文章を書くことができると思う。 人々によく傷つけられた人が、その痛みを知って、他人に傷つけないように、自分をかえりみて検閲するのも同じだろう。それで、吉本バナナさんの本が好き。 私も人の感情を触り、刺激や慰めになる文章を書きたい。 分かり切った慰めの言葉ではなく、心と人柄からにじみ出た話で。 (たくさん傷ついた人ほど自分を統制し、顧みるようになるのはまさにアイロニカルですね。傷をつける人が変わるべきなのに。humm… 傷つける側も、傷ついてそうするかもしれない。。難しい人生 )

*思うより淡々と苦しみに耐えていると思いながらも、突然の状況で涙があふれ出る日がある。 悲しみに向き合うことが怖かったのだろう。 何とかしてその状況を否定し逃げたかったんだ。 事実ということを受け入れてしまったら、耐えられない悲しみに浸りそうだからかもしれない。 バスから降りて、裏通りでひっきりなしに泣いたミカゲが可哀想になって憐れみを感じさせられた。ふと授業を受ける途中、道を歩く途中、いきなり苦しくなってむせび泣いて頑張って抑えて来た感情が爆発した日は、座り込んで大泣に泣いていた私が重なって、また泣きそうになった。 おばあさんを失った喪失感と悲しみに耐えるのに苦労したねと抱いてあげたかった。

*みかげが夜に豚カツをお持ち帰りして,タクシーに乗ってゆういちのところに行く場面が記憶に残っている。 ただ、みかげの気持ちが理解できて悲しかった。 (説明は難しいけど)なぜ悲しい感情を感じたんでしょう。。 今このタイミングではなければこの人を失いそうで不安で心が乱れるみかげの感情と、ゆういちが母に死なれて悲しみに沈んで一人でどれくらい病んでいるか、自分の経験から相手を推し量ることができる暖かい心、共感しながらあやかっていきたい気持ちもした。

*みかげがおばあちゃんに死なれ、家族もなく世の中にひとりしかいない状況で苦しんでいたとき、ゆういちがみかげの苦しみをわかってくれたように、ゆういちがおかちゃんを亡くし、悲しんているとき、みかげが気持ちをわかってくれる。 傷ついた人同士で悲しみを共有しながら慰めになってあげることができるから、苦しい状況でも生を諦めないで生きていく人がいるのだろう。 ゆういちが'あなたは今大変なの。 辛いと知らせてくれる人が周りにいないから、僕が代わりに見守っていたの"(韓国語翻訳本で読んで正しい日本語か分かりません)と言ったが、後半にはみかげが"私はゆういちの気分を手に取るように分かる、知っている、という気持ちになった"とお互いにビタミンのような存在になってくれる。 こんなのが愛かな? 100年の人生の中、このような友達(または恋人)が一人いてもいたら慌惚だろう。

*この本を読みながらずっと頭の中に思い浮かぶ人がいてあやにあいたくなった。恋しい。 私もだれかにこの本を読むと思い浮かぶ存在だろうか。 これからそうなれるかな?



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