Q15 原発の事故コストの試算で登場した「期待値」とは何なのでしょうか。


 期待値とは期待利益(または損失)のことです。可能な利益(または損失)とそれが起こり得る回数を掛け合わせ、それが起こり得る回数の合計で割って算出します。


 起こり得る回数÷起こり得る回数の合計=起きる確率


ですから、可能な利益(または損失)にその確率を掛けたものと同じです。


 原発モデルプラントの事故コストは、この定義に従い、福島第一原発事故の暫定的な被害額の換算額(3兆8878億円)と発生確率(500年に1回~10万年に1回)を掛けて算出されました。それをキロワットあたりの単価に換算したものが次の表に示されています。


 <原子力委員会の資料より>

福島第一原発事故について考える

 暫定的な被害額については、試算が報告されたエネルギー・環境会議でも「除染費用を安く見積もり過ぎている」などの批判が出ています。発生確率もこれまで述べてきたように妥当なものとは言えるかどうかは疑問です。分母も分子にも疑問があるのに、算出された数値に意味があるかということですが、まず期待値を用いる

妥当性について考えてみましょう。


Q16 確率をかけた分、損失が極めて小さくなってしまいました。実際に起きたときの被害を考えるとほど遠い感じですが、これで本当によいのでしょうか。


 実感として違和感があるのはもっともなことです。違和感の本質を分かりやすくするために、宝くじの例で考えてみましょう。


 1億円が1本、5000万円が2本、1万円が1000本の宝くじを考えます。くじが100万本売られると想定すると、1本あたりの期待値(期待利益)は次のように計算できます。


  期待値=(1億×1+5000万×2+1万×1000)/100万=210円


 つまり1本当たりの期待値は210円です。

 しかし、くじ1本あたりの期待値が210円だからといって、価値も210円なのでしょうか。いいえ、宝くじを買うのは、1本のくじの価値が1億円になる「効用」があるからこそ買うのです。


 つまり、あるものの価値は、それについた「期待値」(値段)が決めるのではなく、それによってもたらされる「効用」によって決まることを意味しています。このことを初めて指摘したのが、スイス人の数学者ダニエル・ベルヌーイです。


 ベルヌーイは効用のことを「期待効用」と名づけ、期待値を「数学的期待」と指摘して両者を区別しました。そのうえで、効用は判断をしようとしている個人の独自の環境に依存して個々に変わることを論証しています。


 事故コスト(損失)も同じです。損失がキロワットあたり1・2円なら大した負担ではありません。しかし、実際に事故が起きたときにはこれ以上の大変な負担を強いられます。さらに損失の受け取り方(効用)は個々で異なり、一様ではありません。


Q16 それに加えて帳尻が合いませんよ。宝くじの場合、1本あたり210円以上で販売していれば元がとれます。原発事故の場合、キロワットあたり1・2円の回収を500年続けないと被害額が賄えません。


 その通りです。キロワットあたり1・2円を加算しても、モデルプラント1基では500年運転を続けないと回収できません。50基をまとめて10年でようやく大事故1件分の被害額に達しますが、2件起きてしまったら運転年数が2倍必要になります。


 もし0.006円ずつの加算では、モデルプラント1基では10万年、50基あっても2000年かかることになり、とても現実的ではありません。事故が起きても対応できない加算を何のためにしているのかということになります。


 病死や交通事故死、宝くじとも異なり、原発自体が大数の法則が成立しない少数なのです。このことから民間の保険制度からも除外されています。


Q17 ますます期待値を用いる意味がわからなくなってきました。そのことについての疑問は小委員会で出なかったのでしょうか。


 意見はありました。事務局のとりまとめ案にも次のように記載されています。

 「原子力事故のように『極めて低確率で巨大損害を起こす』リスクを考えるうえでは、単なる期待値の数値だけで評価できない可能性があることを留意すべき」


 また、10月13日の第2回会合では、近藤俊介・原子力委員長が言及しました。
 「確率をメンションしつつ、この範囲の損害が想定されますということを言うことでいいのかもしれない。それをどう使うかは向こうに任せるという。期待値にしてしまうということでなくてもいいのかもしれない。そこは確認した方がいい」


 しかし、11月10日に発表された原子力委員会の見解では、「事故リスクコストの算定に当たっては期待値の考え方が基本であると考える」と明記されました。


 私は、期待値が「期待効用」を示したものではない、さらにキロワットあたり最大1.2円では実際の事故の費用を賄えないという意味で、期待値は用いるべきではなかった思います。事故がなかった場合、事故が起きた場合を別個に示し、事故が起きた時点で発電単価の比較は意味がなくなることを明記すべきでした。


福島第一原発事故について考える

 表を見ればわかる通り、火力や水力と発電単価を比較して意味があるのは、モデルプラントを含め、他の既存プラントでも大事故が起きなかったケースだけです。


 1基でメルトダウンや早期大規模放出を伴う大事故が起きた場合、モデルプラントはそれ以降の運転はできなくなります。10~30年の運転を行っていたと仮定し、発電単価は過去をさかのぼって平均化すれば、事故によるコスト増はキロワットあたり15.41~61.64円、50基で平均化しても1基あたり0.31~1.23円高くなります。


 ここでは暫定的な被害額を原子力委員会の試算と同じ3兆8878億円としましたが、今後の除染や事故処理の仕方次第で何十倍にも膨れ上がる可能性があります。暫定額でさえこの数値なのですから、事故が1件でも起きてしまったら、他の電源との比較は意味をなさないことは明らかでしょう。


【参考文献】


原子力委員会(2011) 「核燃サイクルコスト、事故リスクコストの試算について(見解)」、2011年11月10日

http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/kettei/seimei/111110.pdf
原子力委員会(2011) 「原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会」議事録等http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/tyoki_hatsukaku.htm
ピーター・バーンスタイン(1998) 「リスク/神々への反逆(上・下)」、日本経済新聞出版社

Q11 「10万年に1回」ほど小さければ、事故は絶対に起きないと言えるのでしょうか。


 いいえ。残念ながらそれは言えません。確率の数値がどんなに小さな値であろうと、ゼロではない限り、起きることを封じ込めることはできません。つまり、どんなにリスクを極小化しようとも、「絶対に起きない」とは言えないのです。例を挙げて説明しましょう。


 原子力安全委員会は、安全目標案と比較するために、病気や不慮の事故などによる死亡の頻度を挙げています。厚生労働省の人口動態統計から算出したものですが、この中では他殺のリスクが最も低く「50万年に回」、交通事故の死亡が「1万年に1回」です。人間の平均寿命は80歳程度で、どちらも「80年に1回」よりもかなり小さいので、大半のひとは免れることができそうです。


 しかし、殺人や交通事故死は日本全国を考えれば必ずどこかで起きています。つまり、個々に見れば頻度は低くても、人口1億2000万超の日本全体から見れば殺人も交通事故死も珍しいことではありません。


 サイコロを一つ投げただけでは「1」の目は出ないかも知れませんが、30個ほども投げれば必ずといっていいほど、どれかは「1」の目になるのと同じことです。


 原発事故も日本だけで見れば55基程度ですが、全世界では450基。中国やロシア、インドなどを中心に今後も増えることが予想されるため、1000基に到達する日も近いかも知れません。そうなればいくら「10万年に1回」の事故でも、100年に1回程度は起きる計算になります。


Q12 それではさらに一桁、二桁低い「100万年に1回」「1000万年に1回」にすれば事故を防ぐことができるのでしょうか。


 残念ながらそうはなりません。「100万年に1回」が意味するのは「リスクを十分に小さくするよう努力しました」というメッセージだけです。実際には事故はいつ起きるかわからず、今年かも知れません。


 たとえば、過疎化して車も少ない田舎の村の交通事故死について考えてみましょう。その村の人口は500人で、大半が高齢化し、車も少ないとします。交通事故死も30年連続ゼロで、記録の更新をめざし、村民が一丸となってさまざまな運動を繰り広げていたとします。


 交通事故死の頻度は「1万年に1回」ですから、村の人口で考えれば20年で1人が死亡することになります。しかし、車が多く、歩行者も多い都会と比べると明らかに交通事故自体が少なく、主観的に求めた交通事故死の確率はさらに低いと予想されます。


 しかし、こうした村なのに交通事故死が発生し、記録が途切れたというニュースをよく耳にします。隣町から来た若者の車がスピードを出し過ぎてお年寄りをはねて死亡させた、といった事件です。若者は失恋でむしゃくしゃし、偶然スピードを出し過ぎていたのかも知れません。お年寄りも普段は出歩かない時間に偶然、買い忘れた野菜を買いに近くのコンビニまで出かけたのかも知れません。


 村内を車両通行禁止にするなどリスクをゼロにする取り組みがあれば別です。しかし、リスクをゼロにできない中で、いくら記録更新のために交通安全運動を展開したとしも、こうした偶然まで防ぐことができないことは、日常的によく体験することではないでしょうか。


Q13 それでは、原発の場合、PSAやSPSAなどの値を気にすることは何の意味もないのでしょうか。


 そうとも言えません。PSAやSPSAは事故を起こすリスクを極力減らすための取り組みです。つまり、リスクの高い場所を特定し、対策工事を施すことで、多少でもリスクを減らすことができるのです。


 これは交通事故を減らす取り組みと似ています。安心材料にはなりませんが、少なくとも個々の予防にはつながります。ただし、自ら厳しい評価を課していなければ意味がありません。


 「厳しめの評価を重ね、ここまでリスクを減らしました、ほとんど事故は起きないと保証してもよいレベルです。ですからみなさんご安心ください」


 「それでは事故は絶対に起きないのですね」


 「そこまでは言えません。しかし、事故を起こさないように新たな対策を施していますし、今後もそうした努力を続けていきます」


 こうした事業者の姿勢を市民がチェックし、「まだ足りない」と要求するか、「ここまでやったのだから信頼しよう」と思うか、という取り組みなのです。


Q14 それでも福島の事故は起きてしまいました。


 まず、これまでやってきた評価は何の役にも立たなかったのだろうかという検証が必要ですね。福島第一原発のSPSAは試算ですが、レベル1(炉心損傷事故を起こす確率)で「10万年の1回」程度でした。


 しかし、前回もお話したように、今回の事故は「津波」という地震の随伴現象によって引き起こされた可能性が高いと考えられています。


 大津波のリスクを踏まえて計算するとレベル1で「5000年に1回」とかなり高いことが、東京電力の簡易的な試算で判明しています。偶然が作用したということもありますが、その前に「評価が甘かった」ということを意味しているのではないでしょうか。


 原発問題の場合はとくに、「賛成」と「反対」の二元論で語られることが多く、市民のチェック機能が成り立つことはほとんどありませんでした。事業者も甘めの評価によって「安心材料」を提供しようとするだけだったこともあります。

 しかし、事業者が真剣に取り組み、市民がPSAやSPSAの仕組みや限界を理解すれば、事業者と市民との対話を生み出すきっかけとなるかも知れません。

Q9 SPSA(地震PSA=確率的安全評価)の計算は誰がやっても同じになるのですか。


 誰がやっても同じ結果になることを目指し、一般社団法人・日本原子力学会の標準委員会が2007年3月、SPSAの実施標準を発刊しました。先行して試行を重ねてきた原子力安全基盤機構の取り組みをベースに、専門家や電力会社、原子炉メーカーなどが意見を出し合ってまとめたものです。

 電力各社は各プラントのSPSAを、この標準に従って計算し、お互いに内容を検証しあうピアレビューを行います。だから、見かけ上は誰がやってもほぼ同じ結果になります。しかし、地震リスクを把握するには、この実施標準だけで十分とは言えません。


 まず、確率の計算の前提となる事故シナリオ自体に見落としがあるかも知れません。たとえば地震の揺れで機器などから出火し、火災によって機器が連鎖的に故障することもあり得ます。地震に伴う津波で機器が故障することもあるでしょう。SPSAの実施標準は、地震の揺れで機器が壊れるケース以外、つまり火災や溢水、津波を伴ったときの事故シナリオを想定していません。地震による火災や溢水はまだ評価技術が未開発で、津波に関しては津波PSAを開発中だからです。


 また、老朽化している機器の故障確率は新品の機器には劣ると推測されます。それにもかかわらずほとんどの機器はスクリーニングの段階で除外され、考慮の対象機器はほとんど新品と同じ扱いです。


 さらに、たとえば最大の地震想定や発生頻度については、専門家によって見解が異なることがあります。実施基準では、論点ごとに複数の見解を羅列したロジックツリーを作り、各々の見解に重みづけをして加重平均をとる方法を提案しています。加重平均にすると不確実性の幅は狭まりますが、最悪のシナリオは中和されて緩和されてしまいます。


Q10 東京電力が福島第一1~3号機のどれかが再び、炉心損傷事故を起こす確率を計算しました。5000年に1回ということですが、これはSPSAの数字なのでしょうか。また、この数値は大きいのか、小さいのかがよくわかりません。


 まず、これはSPSAの数値ではありません。東電の報告書によると、「5000年に1回」は今回のような大津波が訪れた場合の1基あたりの炉心損傷頻度です。地震学会などでこうした津波は「700年に1回」は起きていたという研究成果が公表され、これに基づき機器が損傷する確率を求め、炉心損傷に至る経路ごとに掛け合わせたものです。津波PSAと似ていますが、簡易的な計算です。


 大小の判断は比較するものが必要ですね。福島第一原発のSPSAの結果で公表されたものはないようです。独立行政法人・原子力安全基盤機構が2005年当時、福島第一、第二のサイトで、試算したSPSAの結果によると、炉心損傷頻度は「10万年に1回」程度でした。


これと比較すると、「5000年に1回」は二桁も大きな数値ということになります。つまり、福島の場合は、津波の影響が地震PSAの値を決めており、津波を考慮しないのは何も考えていなかったも同然ということになります。



また、「5000年に1回」は、IAEAの既存炉の基準(1万年に1回)の2倍にあたり、東日本大震災が起きる以前に、この数値がわかっていたなら、当然何らかの対策を講じていたでしょう。たとえば非常用ディーゼル発電機のバックアップや津波防波堤の設置などの対策工事を施す根拠になっていたはずです。

 津波だけが今回の事故を引き起こしたとは言えません。地震の揺れで機器の故障や停電が起きたところに、津波が襲い、両者の相乗効果で深刻な事態を招いたこともあり得ます。詳しく調べてみないとはっきりしたことは何も言えませんが、いずれにせよ、福島のケースではSPSAの結果を大きく左右する最悪の事故シナリオが見落とされていたことは間違いないでしょう。


【参考文献】



原子力学会標準AESJ(2007)「原子力発電所の地震を起因とした確率論的安全評価実施基準:2007

東京電力(2011)「福島第一原子力発電所1~4号機に対する『中期的安全確保の考え方』に関する経済産業省原子力安全・保安院への報告について(その1)」http://www.tepco.co.jp/cc/press/11101702-j.html