主張する「誰に」 | コミュニケーションの学校 回覧板(錦糸町&両国&浦和)

主張する「誰に」

文章の主体は、読み手つまり「誰に」にある。
と言ったら、驚きますか。
いや、そもそも意味がわからなかったりしますか。
そう言われても仕方がありませんね。
書き手ではなく、読み手に主体って、どういうことでしょう。

解説すると、文章は基本的には読んでもらうためのもの、ということです。
なぜ文章を書くかというと、読んでもらうためです。
読み手にわかってもらうために、書き手は書きます。
いくらうまく書けても、読み手に伝わらなかったら意味がないわけで。

例えば、弟子にしてください、という頼みごとの文章を書いたとして、
YesというかNoというかは、もちろん読み手次第。
Yesと言ってもらえなければ、文章は機能しなかったに等しいですよね。
その意味で、文章の主体は読み手、「誰に」にあるのです。

当然のことながら、読み手がYes、Noを決めるといっても、
書き手である「誰が」をムシしていいということにはなりません。
重要なのは、読み手に意識を向けるということ。
これまで散々言ってきたことの繰り返しなんですが、
文章は「読まれるためにある」ということを絶対に忘れちゃいけないんです。

いや、さらっと書いてありますけど、
「文章は読まれるためにある」、「文章の主体は読み手」という視点は、
実はすごいことなのですよ。

文章がこけたり滑ったりする理由の多くは、
読み手をムシしているからだったりします。
ほとんどの書き手は、「誰に」の視点なんて持っていません。
読まれることを忘れて、ついつい書きたいことを書いてしまうでしょ??
ちゃんと訓練せずに、なかなかできることではないのです。
読み手のことを考えられる人が、もしかしたらプロというのかもしれませんね。
自分以外の視点を持つって簡単ではなくて、でも尊いことなのです。

「誰に」の視点を持つだけで、文章はものすごーく変わってきます。
読み手に意識を向けて、文章に向き合ってみましょう。