今日は神通川べりの富山花火打ち上げをマンションから眺めながら、明日は「富山が天まで焼けた」大空襲の日だと。軍需工場があった田舎都市が悉く標的にされ、原爆投下の模擬実行が進められたという。

 私は、その日を外地遼東半島の旅順で国民学校1年生で迎えた。直ぐにソ連軍が南下して、一時は蒋介石軍、直ぐに八路軍が二〇三高地を抑え砲撃。蒋介石軍は海路対岸山東半島方面に撤退した。軍港旅順から日本人は大連他へ移動させられた。監獄から政治犯釈放に立会った父はシベリアへと。あとに残された母子と中風の義祖母を大連にまで届けてくれた旅順医専生の一〇歳年上の従兄弟は、新京にまだ留まっていた家族の元に。そうした日々が走馬灯する。