嫁と姑
みたいな話しではない
旦那を緩和ケアに移した時から
ずっと思ってた
私にとっての闘いは、ホスピスに入るまでであって
ホスピスに入った時からは、
会話も出来ず、ここまで来たかと、覚悟をする日々で
それまでの経過は毎日毎日、義母には伝えていた。
いよいよホスピスに入り
母は大阪にきた。
私は話せるうちに来てほしくて、
毎日電話したのに。
12月の半ばに福岡から来た母は、
病院に泊まり込み
亡くなるまでずっーと、旦那のそばにいた
こんなこと
いいたくないけど、
旦那は
お母さんの息子
私の旦那様を通り越して
今日は正にその日で、
旦那の眠る九州で、宮司さんよんで
法事
私は大阪から
ただありがとうございます
私の旦那様の為に
もういいかな。
旦那様はお母さんの息子。
お母さんの息子の次に
私の旦那様
私に大阪にお墓作る力がなかった
ただそれだけの事
なんか疲れた。