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肉体次元の愛、感覚と物 あるいは肉体と肉体の接触による喜び
というのは、一般的なものです。
例えば、お饅頭が大好きな人がいるとします。ではお饅頭を何個食べられますか?
おそらく3個くらいは食べられます。ひょっとしたら10個食べられるかもしれない。
でも100個食べられますか? あるいは1000個食べられますか?食べた後どうなりますか?
きっと、お腹が苦しくなって大変なことになります。
お酒が好きな人もそうです。美味しいと言っても、ブランデーとかウイスキーどれだけ飲めますか?
私達の学生の頃は、どれだけ飲んだかが自慢になったものです
一晩でボトル1本開けたとか、一升飲んだとか、そういうことを
自慢する友人がいたのです。
でも、翌日どうなりましたか?二日酔いで大変な思いするわけ
です。
そういう感覚的な満足、英語では、センスグラティフィケーション
サンスクリット語では、ヴィシャヤーといいますが。
そういう肉体と物との接触、肉体と肉体の接触は、後で必ず飽きてしまうのです。
それは男女間でもそうです。惚れた腫れたで一緒になりました
ところがしばらく同棲したら、それなりの経験したら、もう嫌いになった、飽きたってケースはいくらでもあります。
それはなぜか?感覚的満足というのは、結局不満足が残るのです
これは記憶していただきたいのですが、五感がありますが、
性的なものを含め、感覚器官と感覚器官の接触
あるいは物との接触は、一時的な喜びは得られますけれども、それは長続きしません。
後で苦しみが来るということです。
物質的愛、つまり肉体次元の愛というのは、体と体の接触
感覚と物との接触、それによって、得られる喜びの事です。
スピリチャルな愛とは、魂次元の愛です。
魂が大きな魂と結びついた時に感じられる、肉欲とか物欲の汚れのない、永遠で知識と至福に満ちた愛のことです。
(ジャーヤナンダ・ダーサ著 人生の7つの疑問に答えるヴェーダ基礎講座 引用)