こんにちは!グルの書籍からです
(聴講者Aさんからの質問)
現世利益を求めるとは、神を御用聞きにすることになるのではないでしょうか?
これは大きなテーマです。私達はたいてい現世利益を求めます。
例えば
よい彼氏を下さい、夫を下さい、彼女を下さい、奥さんを下さい、子供を下さい、お金を下さい、仕事を下さい、商売繫盛させて下さい、試験に合格させて下さい、など無数の願いがあります
これは、神様を私達の望みを叶える手段に、使っていることにならないのか?ということにですね。
このことを理解するためには、私達とクリシュナとの関係を
明確にする必要があります。
なぜ私達は存在しているのか?なぜクリシュナが遥か前から存在しているのか?というところに行きつきます。
現世利益はいけないかというと、いけないわけではありません。
なぜなら、私達にはそれぞれの段階があるからです。
例えば、小学校1年生に、大人のように振る舞えといっても、無理な相談ですよね。
遊びたい年頃だし、いろいろないたずらをします。
その年に合った望みを持つものなので、一番低いレベルでは神様を使い走りにすることがないわけではありません。
なぜかというと、神様は親のような存在だからです。
日常の中でも、子供が親に「これ買ってよ、これちょうだい」と言うことはあります。
親は、子供だから仕方がないと買ってあげる
けれども成長してきたならば”もういいでしょ”と言って望みを
あえて叶えない時があります。
更に子供が成長したら、今度は、お父さんやお母さんに、何かをしてあげるという段階になります。
肩を揉んであげるとか、いままでお小遣いをもらっていたが、就職してボーナスをもらったから、お父さんとお母さんにお小遣いをあげる、などの恩返しをするのです。
最初は使い走りだったのが、だんだんと成長していくことによっ
て、今度は愛を捧げるようになる。これがバクティ・ヨーガです。
ですから最初のうちは、物欲や願いを持っていてもいいのです。
神様、お金を下さい、仕事を下さい、成功を下さい、悟りを下さい、解脱を下さい。
けれども、最終的に成長したら「いや、私があなたに仕えます」
という段階になります。
ですから、最初の時点では悪くはない。
けれども、神様を自分の望みを叶える道具に使っているうちは
まだ未熟だということです。
これも『ギーター』に書かれています。
(ジャーヤナンダ・ダーサ著 ギーター甘露 引用)
困り事があると、誰しも神社へ行って手を合わせ
神様にお願いをするのではないでしょうか?
確かに現世利益の為では、神様にお願いしても実際は聞いてもらえません!
けれども何故かクリシュナだけは、私達に与えて下さいます。
何度もクリシュナがいるなら、証拠をみせて欲しいと頼んだことがありますが、結果証拠をみせらております