戦争になると、女性は暴力とレイプの対象となる。そして、戦争が終わると、貧困のために多くの女性が生活していけなくなって売春ビジネスに関わっていく。

1945年8月15日に敗戦を迎えた日本も、すぐにその後から夜の町に立つ女たちが目立つようになって、やがて彼女たちはパンパンと呼ばれるようになった。

赤線・青線で働いていた女性が立つようになったのではなく、素人の女性が生活のために自主的に立っていた。親を亡くしたストリート・チルドレンのようになった少女たちも多かったという。

彼女たちが主に縄張りとしていたのは上野界隈だったといわれている。戦後の上野は売春地帯だったのである。現在シンガポールのゲイランのようなものが1945年には東京にあったのだ。

女たちは焼け野原の中で、戦中は「鬼畜米英」と呼ばれていたアメリカ進駐軍の男たちを相手にして身体を開いていた。


男女平等は、平和の時しか通用しない


この時代は多くの日本人にとっては「昔話」になっている。しかし、「歴史」と呼ぶには早すぎる。

なぜなら、現在の70代より上の年代の女性たちは、このような時代を潜り抜けて、いまだ存命しているからだ。

米軍は東京のすべてを焼き尽くし、敗戦は日本の尊厳や自尊心を粉々に打ち砕いた。東京大空襲のあとの写真を見ると、その破壊の凄まじさに言葉を失う。

1945年。痩せこけた日本女性は家を失い、夫を失い、子供を失い、財産を失い、心の尊厳までも失って、夜の街に立った。そして、進駐軍がすべてを失った日本の女性をチョコレート1枚で抱いたのである。

世界中のどこでも、「戦後」はこのような状況になる。フィリピンもそうだったし、台湾もそうだし、朝鮮戦争後の韓国もまたそうだった。

ポル・ポト政権の大虐殺から、長くに渡って続いた内乱を経験したカンボジアでも、結局、現地の女性たちが仲裁にやってきた国連軍を相手に、トゥールコック地区で売春することになった。

どんな教育・宗教・生活をしていたとしても、敗戦を経験した国、破綻した国の女たちは、苦界(くがい)に身を落とすことになってしまう。

敗戦国の女とは、侵略者にとっては略奪すべき財産の一種であり、焼け野原に転がっている「甘い蜜」なのだ。

アメリカの政治家や将軍にとって戦争とは覇権を得ることであり、それによって膨大な利権を手にすることである。

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終戦の日の日本女性。このあと、灰燼と化した大地の中で、多くの女性が生きるか死ぬかの塗炭の苦しみを味わうことになった。

世界全体が「暴力の時代」に向かっている


末端の兵士にとっては、国家の覇権など本当のところはどうでもいい。

彼らにとって「戦争」とは、相手国を圧倒的な兵力で叩きつぶして街を灰燼と化し、そのあとに「現地の女性」を安く買い漁ることである。

現代でも、「女性」は、戦勝国の男にとって戦利品以外の何物でもない。

だから、スリランカでもタミルの女性兵士が、ことごとくレイプされ、ユーゴスラヴィア内戦でも女性が集団レイプされ続けていた。

これは、女性にとって目を覆いたくなるような現実だ。

現代には、「男女平等」という言葉があり、概念がある。この言葉は美しく、また基本的な思想でもある。

男性と女性は共に手を取り合って生きていかなければならない。どちらが偉くてどちらが偉くないという比較は、すること自体が間違っている。

しかし、それは多くの男たちにとって「建前」であるのは明らかだ。

キリスト教もイスラム教も仏教もヒンドゥー教も、最終的に権力を持つのは「男」である。国を統治するのも、戦争をするのも「男」だ。

社会の中核はすべて「男」が握っており、それに対して「女」は常に隅に追いやられている。現実を見ると、「男」は紛れもなく、君臨しているのだ。

そして、戦争になったら女性が容赦なく略奪される。その時が来たら、男は女性を「モノ」のように扱うのである。

「男女平等」という虚しい建前は、極限的な暴力の前ではいとも簡単に吹き飛んでしまう。だから、女性にとって暴力の時代になるというのは危険なのだ。

しかし、今はグローバル経済の躓きからゆっくりと世界全体が「暴力の時代」に向かっていることを知っておかなければならない。

これから来るのは、すべての女性にとって恐怖の時代だ。暴力が渦巻くのである。

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東京大空襲で地獄絵になった街。B-29が投下する焼夷弾で日本人が焼き尽くされた。

戦乱に入った瞬間に、女性の人権は危うくなる


男女平等は、平和な時にしか通用しない。男のほとんどは、口で何を言っても男女平等を本当は真剣に考えていない。

「男女平等」は、単なる理想論である。

この理想論は平和時においては効力を発揮するが、ひとたび戦乱になると一瞬で消えてなくなる性質のものだ。戦乱に入った瞬間に、女性の人権は危うくなる。

すべての女は潜在的に心の底で、この恐るべき真実を悟っているはずだ。

だから、今の時代に背筋が寒くなる「予感」を感じるはずだ。

ところで、日本の敗戦直後について調べているとき、当時を東京で生きていた方から、興味深い話を聞いたことがある。

「アメリカの進駐軍は、今の日本人が想像している以上に、日本人女性を食い物にしていました」

「悲鳴を上げて逃げる娘さんを、数人の米兵が強姦するために追いかけているのも数回見ています」

「進駐軍は、上野よりも銀座や新橋を根城にしていました。上野はどちらかと言うと、国破れて自棄になった日本人の帰還兵が、女を抱きに行くところだったのです」

現在、日雇い労働者の簡易アパート(ビル)が並ぶドヤ街「山谷」一帯は、ちょんの間と呼ばれる売春小屋がびっしりと立ち並んでいたという。

「値段はちょんの間で300円から500円くらい、米兵は1,000円から2,000円をポンと払っていました」

日本政府が米兵のために特別に用意した売春宿というのもあった。

「こちらは300円でしたが、あっという間に性病が蔓延してしまい、一年後には閉鎖しました」

日本女性の売春価格は83倍近く値上がり


しかし、当時のレートで言えば1,000円というのは、何ドルなのだろうか。昭和21年より円は固定相場で取引されるようになったが、その時のレートは360円固定だった。

それで計算すると、日本政府系の売春宿では日本人の娘が1ドル以下、街ではショート3ドルくらいだったということになる。

日本女性は現在、約2万円くらいで売春をしているそうだが、現在のレートで計算すると約250ドルである。

かつて3ドルだった日本女性の売春価格は83倍近く値上がりしたことになる。

もちろん、これは女性の価値が約80倍も上がったということではなく、円の価値が上がったということだ。

現在の日本女性が、昔の日本女性に較べて価値が上がったのかどうかは私はよく分からない。

しかし、ひとつ言えることがある。

売春による女性の肉体の価格は、平和時には高騰していくが、いったん戦争状態になると、一気に価格が引き下げられる。なぜなら、女性の価値よりも、暴力の価値のほうが勝るからである。

暴力が極限までモノを言うようになると、女性の価値はゼロになる。すなわち、男たちは好きな女性を好きなだけレイプして捨てるような事態になる。

暴力の価値と女性の価値は、互いに反比例する関係だと覚えておけば分かりやすいかもしれない。

すなわち、女性の価値が上がっている社会は、暴力の価値が下がっている社会である。女性の価値が下がっている社会は、暴力の価値が上がっている社会である。

歴史的に、常にそうだった。

だから、女性は、しっかりと目を開けて、時代がどちらに流されているのか、必死で読み取る必要がある。

それは、女性にとって切実な問題になる。

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完全に焼け野原となった東京。広島・長崎は原爆で焼き尽くされ、その他の都市も焼夷弾で軒並み焼き払われた。この「記憶」を日本人は忘れようとしているようだ。