久しぶりのUPです。

いつも、自分の心が望むこと、
本当の心の望みにフォーカスをし、
全エネルギーをそこに向けることがやはり大事。

と考えているのですが、

少し前にふと気づいたことは、
実は全エネルギーと自分が考えていたものは、
ちっとも自分の全エネルギーじゃないということ。

そんなの当たり前じゃん、と言えばそうかもしれませんが、
ちょっと待って!

言いたいことは・・実はわたしたちって、自分が思っている以上に、
自分についてのなにかを隠すために、
とってもとってもエネルギーを使っていたりする、
ってことなんです。

本当に、本人には当たり前になっていて気づかないようなことや、
思いもつかない突拍子もないようなこと、にです笑

で、ここに気づけたら、お見事♪

2012年ってそんなこと多くなかったでしょうか?

☆ みんなが周りの人のことを尊重し、
  そして自分自身を本当に尊重し、
  皆の本質のきらきらで、幸せいっぱい分かち合う日がきますように ☆


あなたがた生きとし生けるもの全て
神が側についています(神がそこにいます)
あなたの進むところどこにでも
神はいます

安心してお行きなさい
あなたの内なる光の発するところへ

聞きなさい。
あなたの思いを共にするものを

内なる光に導かせなさい

(あなたの美しさを開花させるのです)

内なる喜びの光をあふれさせなさい

あなたがたはみな
(小さな小さな花、そして、)
大きな広大な
美しい光なのです

                9/26 11:36
   




実は、このメッセージ、その2に書きましたが、
会社で普通に仕事をしていた途中に
「紙をとりなさい」と言われ、
紙をとって書き始めたものです。
ちょっと表現が、ん?という部分があり・・
神が側にいます?と聞いたところ()内の言葉を得ました。

しかも、その2もそうですが、
大天使ジョフィエルより、なのですが・・
このその1については、大天使ジョフィエルと書いてすぐ、
メタトロン、とも聞こえてきて、え?と驚いて、
UP遅れてしまいました。大天使ジョフィエルとメタトロン、ってえ?みたいな^^;
ごめんなさい><

このメッセージを受取る予定の方には、
多分明明白白なような気がして、素直に書いてみました。

神って概念が人によって違うので、難しいですよね・・・><

他にも、ちょっと難しいかな、
人によって解釈が異なるかな、って心配もしちゃって。

わたしたち人間は形としては小さいですが、
本当は、大きな大きな美しい存在なのよ、ってわたしは捉えました。
そして、わたしたちの内側にある光、
神性で美しい光を。
誰もの中にある、ユニークで神聖で、美しいものを。

それでは、必要な方に、素直な形で、
このメッセージが伝わりますように。

今日もみなさんが、内側にある自分の本当の光に出会えますように☆

何年か前に読んだ本で、真実の剣シリーズがありました。
大人になったから読みはじめたファンタジーの1シリーズだったのですが・・
そこからのお話です。

何年か前なので、印象的に覚えている、ということで書かせて下さいね。
あくまで印象ですので、記憶違いの部分もあるかもしれません。
その当時に主人公の姿勢・考え方にとても感銘を受け、
決意する、ということに関係があるので書きますね。


主人公は始めは森の案内人で、自然に囲まれた
のんびりした生活をしていた人ですが、ここはファンタジー、
最終的にはとても特殊な力をもった重要人物となります。
そして、シリーズの半ば、とある国に、素性を隠した形で、
拉致も同然の状態で存在していたり、そして、後にはいろんな国で、
皆が本当の自由意志を獲得するきっかけとなっていくわけですが、

凄い!、と思ったのは、思考自体もそうですが、姿勢としてです。

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してもらう、助けてもらう・・、という姿勢の人が多い中で、
どうしても素性を隠している時さえ突出し、期待されても、
決して安易に手を出さない。
皆が自分で決意するまで待つ。心の底から皆が自分で決意するのを待つ。
皆が助けてもらおうという姿勢を捨てるまでは、それまでは、
ただ自らの姿勢を示すのみ。
逆に誤解をされていたとしても、
ただ自らの姿勢を示すことによって、変化をおこす。
自発的に皆が動くまで、ひたすら姿勢を示して待つ。
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ここだったです。

このお話では、国民の一人一人が自らの主権に気づき、
自由を獲得して、自分たちの国を変える、
誰に抑圧されるでもなく、
誰かに頼って責任を負わせたり、なすりつけた上で
助けてもらったりするでもなく、
自分達の足で立とう、という流れでした。


結局、私たちは、自分を変えることはできても
他の人に対してできるのは”お手伝い”
その人を最終的に変えることができるのはその人自身です。

わたしたちには、選択権があります。
往々にして、できないと思っていることでさえ。

その人が変わるのは、その人自身の力と決意が元。
逆にいえば、自分で決意しないことには、本当の意味で変われない。
そして、自分でそのプロセスをたどることに意味があると思います。

自分で自分のために決意する。
そこには、失敗なんてないでしょ?

与えてもらう、
例えば帰依などにより一時的に得る、
一時的に悪いものを取り去ってもらう、
ではなくて、
根本的に変わる、
ってそういうことではないでしょうか。。