私は小さい頃勉強する意味がわからず、(笑)小学生の時は授業中は、ぽーっと窓の外の樹々の揺れを見ていたような子供でした。そんなだから漢字の小テストはいつも0点(笑)
でも音楽の時間と道徳の時間だけはすごく楽しくて、ワクワクしてた覚えがあります。そう、変な子だったんです、きっと。。。
中学に入っても勉強は好きになれず、成績は。。。
でも、受験生で塾に行き始めて、そこの先生がすごく面白い先生でやる気スイッチが入り、英語が好きになってしまったんですねー。♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
英語が好きになれたら、海外にいける仕事がしたいとなり。(笑)
家が自営業を営んでいて、お客さんと接する事が多かったので、高校生の私の夢はスチュワーデス(まだキャビンアテンダントという言葉はなかった。笑笑)でした。ちょうど中学生の時にスチュワーデス物語もやってたしね。
それと同時に祖父母と一緒に生活をしていたので、優しい祖父母が大好きで、部活がない時は速攻帰宅し、16時からの江戸を斬るを祖父と一緒に観て、その後祖父がパーキンソン病だったので、リハビリの為に風船バレーの相手をするのが楽しみな日々でした。(やっぱりちょっと変な子💦😅)
なので、高齢者福祉にも興味がありました。
そして、進路を決めるにあたり、福祉の仕事は人生経験積んだ方が良い仕事ができるだろうと考え(怖💦)、スチュワーデスを目指す専門学校へ進学。
初めての就職はホテルの秘書室。
はたから見ればすごいねーとか、かっこいいねーとか言われる職場でしたが、上司からは同期と仲良くするなと言われ、(大事な情報をペロッと言ってしまうことがあるからとの説明だった💦)席はガラス越しの廊下沿いに向かって並んでいて(上司の動きがわかるようにとのこと💦)、1日ガラスとのにらめっこ、主な仕事は決済書の運び屋と郵便の仕分けでした。
60歳を超えた男性の室長と、開業からいるアラフィフの課長と定年間近の大先輩、そして9年目の先輩に囲まれ、接客をしたかった私にとっては地獄のような日々。😖
今となって見れば、受け取り方でどうにでも楽しくできたかもしれなかったけれど、若かりし私は
宇宙の法則や引き寄せの法則のカケラすらしらない、
ただ、ただ、落ちていく日々。😱
そして、どうしてもスッチー(古💦)への夢を諦められず、退職し、試験を受けたけど、、、、
不採用。ちーーーーーん。💦💦💦💦
まぁ、でも、ここで諦められる事ができ、自分の予定より早かったけど、福祉の道へ。。。
そうしたらね、高齢者って、みーんな病気持ってるんですよね。💦
んで、その当時、資格がなくても働けるのが巡回入浴のヘルパー位だったので、ご自宅を回ってお風呂に入れてたんですが、なんだかね、お風呂に入れてる時にこの人の病気には、何をしたらいけないんだろうとか、何をしたら苦しくなっちゃうんだろう、悪くなっちゃうんだろうとか真面目に考えるようになってしまってね。💦💦💦💦
アホです。(笑)
そしたらねー、
看護学校に行きたくなっちゃったんですよ。(笑)
そして、タイミングよく、私がその頃住んでいた市立の看護学校に社会人選抜試験という制度がある、という情報が飛び込んできました。(これ、きっと引き寄せだったと☺️)
そして、30歳で看護師となり、本当はそのまま福祉の世界へ戻りたかったのですが、臨床経験は最低でも3年は必要と言われ渋々病院に勤めました。
勉強になる事ばかりでしたが、やっぱり私は治療のサポートではなく、生活のサポートがしたいという気持ちが強く、ギリギリの3年で退職、福祉の世界へ戻って早15年?がたちました。☺️
色んな職場を経験しましたが、今は老人ホームでの看護職。入居者の方々と笑顔の多い毎日を過ごしています。なので、1年前には私は定年までこの職場にいるんだろうなーと思っていました。(笑)
ただ、10年前にユーフォニアムという楽器に出会ってからは、
倍音の癒しで、
何かできないかと考え、仲間達との訪問演奏や施設でもたまに個人で演奏をさせてもらっていました。♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
施設では、入浴中にCDをかけてリラックスできるように環境づくりをしているのですが、ある日ふと目にしたクリスタルボウルのCDをかけたところ、認知症で言葉もあまり出ない入居者さんが、今までに見たこともないような笑顔を見せてくれたんです。😳
なんとも言えない幸せそーな表情に、、、
これは絶対何かある。(*⁰▿⁰*)
と、私の興味がどんどんと音での癒しへと引き寄せられていきました。╰(*´︶`*)╯♡
クリスタルボウル、サウンドヒーリングとの出会いへ続く。。。