悲しいことがあると考える。
なんでこんなに辛いのか。
実の親や兄弟姉妹がしたことが原因で、
ひどく淋しい気持ちになることがある。
子供の頃から、
人間って家族ってこんなもんじゃないだろう?
と思っていた。
だから、心理学や、人や家族や人生のしくみについて、
勉強せずにいられなかった。
エゴむきだしの姿は、とても人間らしいといえないこともない。
でも、自分はそんな風にはなりたくない。
そして、なぜにそんなに悲しいのかをよくよく考えてみると、
悲しみは、
家族や人間や対象について、
自分がこうあるべきだと決めた定義を満たさない場合に起こる
と理解した。
そうであるなら、悲しみは自分の勝手な エゴ から起こるのである。
周りの人から学ぶことが必要で結ぶ家族関係ゆえに、
相手もまた過去に似た考え方をしていたことが多いようだ。
"期待が外れて悲しい"
というのが本当の ”悲しい” を的確に表現する用法なのだ・・・
と思った。
つまり ”なんでもあり”
だと理解するなら、悲しみはやって来なくなる。
なんだ、そういうことか。
おそらく、 キリスト意識 とは、そういうことを乗り越えた上にあり、
だからこそ、 全てを 許す という表現になるのだろう・・・と
ならば、相手の行動から学ぶべきは、
自分の在り方 をどのへんに置くのか ということ。
やはり、明るい未来は自分が作るのだ。