私は今までも人に恵まれてきたと思います。

自分が困っても

人様が手を差し伸べてくれたり、

フォローしてくれたり、

躓いても起こしてくれたり

人さまに感謝しかありません。


ランも猫でありながら

私のことを助けてくれます。


来年1月にレンさんところの「ココはぁと」

という、イベントにオーラビデオで出展予定です。


mimi edenのミミさんと、インディアンヘッドマッサージの

みさえさんとコラボります。


みさえさんが

「ぜひ、あっきーちゃんと一緒にしたいわ」と

言ってくれました。


いきさつはいろいろあるんです。

彼女には仲間がいますから。

でも。。。。

それでも一緒にって言ってくれる潔さ。


人のことをあーだこーだ言う人は多いです。

それは昔あった話なのですが、

私の周りに人様がきてくださること、

それをねたんでいたのでしょうか?


「力なんてないくせに、

力のある人間を集めて喜んでる」


そういう話をとあるところから聞いたときには

本当に脱力しました。


でも、実際、私には力なんてないのだとおもいます。

ないからこそ、大きな声で

「助けて!」っていえるのかもしれません。


私は人様を助けるなんてことはできません。

できないからこそ、相手に対して

現実的な態度をとります。


私の仲間もそうです。

私がぎりぎりまできてしまったから

助けてくれるのですよ。


自分で努力もせずに

人様に助けてもらおう、

そんなことは思っていません。


今日もとあるところからメールが来ました。

それを読んだときに、

なぜ、この人は見知らぬ私に

病気だからという理由で

投げつけるんだろう、と思いました。


名前もなにもなく、ただ、現状だけをかいて

なんとかしてくれと。。。


そういう人は感謝する気持ちというのが

かけていると思うのです。


苦しいから助けて。


それを助けられるのは自分自身と

自分の仲間(家族など)でしかないのです。


人にはそれぞれの考えがあると思います。

そして、お役目もあると思います。


だとしたら、相手を助けているつもりが

実は相手が立ち上がるためのきっかけを

つぶしていることもあるのです。


本当の仲間であるならば

本人の力でなんとかさせるための

アドバイスだけをして、

そして、何かあっての帰る場所だけ

作ってあげることができれば

いいんじゃないでしょうか?


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