今日、友人と話をしていたときのこと。
先日のお寺での話しをしていたの。
先生が端から聞いているとものすごくわかりやすく
話をしているというのに、
その話を聞いている人は「でも」とか「わからない」とか
とにかく、先生の言葉をやろうとしない。
友人は
「うーん、わからなくもないな。
だって、私も先生が何を言ってるかわからなくてね。
なんども聞きなおして、しまいには先生きれたもん」
「なんで?」
「だって、普段の先生は優しいしわかりやすいけども
でも、神様の言葉は端的でしかもきつくてわからないんだもの。
端から聞いていたらわかるのかもしれないけど」
「まぁ、キーワードばかりのこと、多いよね」
「でも、実行しない人は神さまもわかったみたいよ。
だってね、本当に無理っていうことを相手に言うの」
「どういうこと?」
「たとえば風邪を引いたら大根おろしをすって飲みなさいとか
そういう簡単なことを私たちに教えてくれるのね。
でも、この人、明らかにしないだろうなぁというのが神様にわかると
どこそこの○○の葉っぱを取ってきて
それを乾燥させて飲みなさいとか、えー、なに、その葉っぱみたいな
ありもしないこと(彼女はそういっていたけど探せばあるかも)を
伝えていたわよ」
玉姫様~ぁ。
せやけど、お金を払って祈祷をしてもらったとか
お払いをしてもらったとか、それでよくなると思っている人
めっちゃ多いですね。
確かによくなりますよ、運命を変えるためにすることだから。
でもね、そうじゃなくて、
自分でも努力して、
そして、神様の力を助けとして
自分の力で生きていかないと。
なんせ、せっかくご縁があって神さまにつないでもらったのに
先生に対しても時間の無駄。
つないで下さった人の顔をさす。
何しに来たんだろう、そう思ってしまいますわ。
そういうひとはきつい言い方をすれば
どこに行っても同じような事象が起きてしまうし、
引き寄せてしまうんだよね。
せっかくご縁をいただいたのであれば
自分が変わらないと。
と、思いながら、今日は寝ます。