私はここ数ヶ月、なんか食品以外に物欲があまりなく、

(食品は自分が食べると言うよりも人に渡すみたいな)

自分の持っているものも人にあげちゃおうかなぁと

そういう気分でした。


もともとコレクターですけど、

でも、そんな高価なものを買う訳じゃないですし、

1万円とかあれば購入できる?みたいな。

だからお金がなくて買えないとかでもない。


でも、本当になんもなくて、

去年、買った着物でさえ、一度も手を通さぬうちに

「私が死んだら姪っ子にあげればいいよね」

みたいに、人にあげることしか考えていませんでした。


で、なんとなく、なぜそう思うのかわかりました。


死期が近づいているから身辺整理?とか考えたこともありますが、

そうではなく。。。。


私のそばに祖母がいてたんですね。


今日も母と話をしていたのですが、

祖母という人は、自分よりもまず人、っていう人でした。


戦時中には、夫である私の祖父の弟や妹の面倒を見ていたのですが、

食べ物が無いときでしょう。

自分の分は削ってでも、弟や妹に与えていたそうです。


でも、そのせいか知らないですが、戦時中に生まれた2人の叔母は

赤ちゃんのうちに亡くなってしまったんです。


私が覚えているのは、祖母がもうあまりしゃべらなくなってからなのですが、

(失語症ではないけど、それに近い状態で話せなくなりました)

みんなで食卓を囲んでいました。


祖母は自分の分ではなく、みんなのお皿に、

ニコニコ笑いながらお寿司をつまんで入れてくれるのです。


「おばあちゃま、私達はちゃんと食べてるから、

おばあちゃまが食べなきゃよ」


ものを買うときも自分よりも私たちが喜びそうなものを

買ってくれていました。

食べ物でもそうです。


結婚してからも遊びに行くと

食料品とか持って帰りなさいって、

自分は古いものを食べて、私には新しいものをくれました。


何よりも、美人だったのが自慢です。

昔の人なのに、背が160センチ近くあり、

一緒に写真を写すと祖母の方が大きかったんです。

大正生まれなのでモガですね(笑)


ただ。。。


私はすごく不義理をしていました。

亡くなる前は育ての母だったのに

全然会いに行かなかったんです。


ひとつは、昔のすがたじゃない祖母をみるのが

とてもとてもつらかったんです。


亡くなったとき、死に化粧をするときに

私は口紅をさしました。

そして、手をハンドクリームでマッサージしました。

「ごめんなさい」って謝りながら。


でもね、いま、おばあちゃまは

私の好きだったときの姿らしいのですニコニコ


だって、遺影もね、叔母が開いた日記から

「これを使って!」の勢いで出てきたらしいですもの。

それが60そこそこの祖母の写真でした。

棺の中の祖母も90才を超えていましたが

あまり変わりなく、でした。

(とういうか、皆さん実年齢聞いてびっくりしていましたもの)


今年、三回忌です。

祖父の17回忌でもあります。

ちょうど高知で法要をするので、ご挨拶にいけるのです。


お供えのお菓子。。。

祖父はリーフパイが大好きでした。ロイヤルホテルやったかな?

いや、ニューオータニか。

祖母は何が好きだったかなぁ。

覚えているのはプリンだったけど、それは持って行けないし、

義父には毎年上等なマロングラッセを送ってくれていたから、

マロングラッセにしようかな?


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大阪・からほりの癒し部屋じんじん店主のひとりごと


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