大阪・からほりのヒーリングルームじんじん店主のせきらら日記-Image325.jpg

越智啓子先生のところで知った言葉ですが
実際は佐田弘幸さんの言葉だったのですね。

でもすばらしい言葉です。
宇宙の法則を感じます。


この8月末でドンドン切れるものは
切れていったような気がします。

お盆のお墓参りのときにお墓という(司令塔)を通して
ご先祖様にアドバイスを頂きに行きました。

「私にとって必要なもの、ご先祖様が培ったような
インスピレーションをください。」
「今の案件がうまくいくように見守ってください」
そして、「家族は元気にやってます。ご安心ください」と。

するとですね。
すべてはうまくいっている!
私にとって必要ないもの、そういうものが切れて行きました。

友人が切れたのはある意味悲しいです。
でも、私は私でしかないですし、
その私と合わないというのであれば
それは仕方がないことです。

気づいたのですが、本当の友人とは
相手のことをもちろん思いやりますが、
おかしいなぁと思ったことはきっちり話し合い、
いいことも悪いことも話し合える
そう腹を割って話し合えるそんな関係じゃないかと。
お互い困ったときには損得抜きで助け合える。

私は、切れていった人たちに対して
卑屈なまでに、ご機嫌をとるような態度を
していたような気がします。

心の底で、得体の知れない何か恐怖のようなものがあって、
それに触れないように、ご機嫌をとるようなことを言って
いいたいことも言えず、そのうち、相手を増長させてしまい、
私としてはどうしようもないところまで追い詰められて、
そして、切れてしまうのです。

言動、行動、相手の顔色をうかがっていたような気がします。
その反面、ある一定の限度が超えたときに
言動なり行動なりで相手を切れされるようです。

でも、私としては、そういう気の使い方をするのは
気疲れするだけで、相手の機嫌のいいときは楽しいけど
そうでないときには、ものすごくしんどい人間関係でした。

やっぱり自分が疲れない人間関係がいいですね。
そんなのは親友じゃなかったんだなぁと改めて思います。

おかげさまでここにいさせていただいている。
その謙虚な心もちゃんと持っていたいです。
勘違いしている人は○○してやってる、
そういう感覚に陥りがちです。
謙虚な気持ちは忘れたくないです。

9月にはいってから、なんとなく
心に余裕が出てきたような気がします。
まだまだ人間未熟ですけどね。
修行修行(笑)

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