私は与えすぎていたような気がします。
受け取るのも多いけど、与えるのも多い。
でも、悲しいことに、それが当たり前になってしまうことがある。
無償の気持ちで与える。
だのに、「なぜあの人は私がこんなにしているのに。。。」
だとしたら、そんな気持ちになるのだとしたら、それは自分の中に損得勘定が芽生えたこと。
なので、与えているわけじゃないのよ。
私はいろいろな人にものだけじゃなくいろいろ共有してきた。
ものは与えるかもしれないが、知識、テクニックは共有だとおもう。
ものを与えたとしても後悔はない。
だって自分がしたかったからしただけ。
そしてそれを喜んでくれたのであれば、それは最高のお礼を受け取ったということ。
でも、目に見える形ではなく、必ずめぐりめぐってくる。
自分がしたこと、与えたこと、それは同じ形ではないにしろ。。。。
それと同じで、人に対して攻撃したり、きつい言葉を吐いたり、
人を陥れたり、裏切ったり、ネガティブなことも回ってくる。
そういうものを他に与えたんだよ。
だから自分も同じもの、もしくはそれ以上のネガティブを受け取ることになるかもしれない。