今日は約1年振りに、母親の方のおじいちゃん、おばあちゃんの家に行った。

今まで親の隣に乗って行ってたけど、今回自分の車で初めて行った。

アポ無しでサプライズ的に行ってみた。

凄く喜んでくれて、嬉しかった。

今まで心配ばかりかけていたけど、少しは安心してくれたかな…。

おじいちゃんは元気だけど、おばあちゃんは糖尿病を患っていて、去年逢った時は体中がむくんでいた。

糖尿病のせいで腎臓の機能が悪くなって、意識をなくしたり…。

でも今日のおばあちゃんは元気だった。

よかった…。

自分自身、幸ながら、まだ肉親の死に目には直面していないけれど、元奥さんのおばあちゃんが亡くなってしまった時は辛かった。

自分もいつかは直面するのだろう…。

避けたくても避けられない現実だ。

だから、今日、おじいちゃんとおばあちゃんに逢えた事に凄く感謝してる。

一生忘れない一日だった。
帰りには、自家栽培の茄子(1本30cmくらい)とピーマンと、全部の卵が黄身が2つ入ってる卵をもらって、おじいちゃんとおばあちゃんの家を後にした。

1時間30分と短い時間だったけど、自分の心には深く深く刻まれた時間だった。

形あるものはいつかはなくなってしまう。

いつも逢えるのが当たり前じゃない。

その一日

その時間

その一瞬は

自分で起こさなければ始まらない。

偶然起きることはないだろう。

だからこそ、大切なんだ。
おじいちゃん、おばあちゃんにまた元気で逢えるかな…。

また近いうちに逢いに行くね。
自分がまだ小さい時

親の存在は怖くて

反抗期になれば

うっとうしくなったり。

自分は20歳の夏から24歳の春まで親から離れていた。
今は親父と2人暮らし。

今日は、ヘルニアで親父の具合があまりよくなく、仕事から帰ったら辛そうな顔をして横になっていた。

そんな中、気分転換からか買い物に行こうと誘われ、親父を横に乗せて買い物に出掛けた。

買い物中も、痛い体をゆっくり動かし買い物をしていて、車に乗るときも、家に帰って部屋に戻るときも、時折溜息をつきながら動いている親父を見て申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

4年間…。

親父は一人で、その痛みを背負って生きていたんだ。
自分は何もできなかった。
親父から目を背けていた。
ただ、自分の自由が欲しいがために…。

そんな自分を受け入れてくれた親父は凄いなぁ。

今は自由は利かない環境だけれども、自由だから幸せじゃない。

それに気づかせてくれた親父に凄く感謝の気持ちでいっぱい。

今月の半ばには母さんが帰ってくる。

久しぶりに

家族3人が揃う。

いつの日か

家族3人が

笑って過ごせる日が来るのかな…。

今はそれを信じて前に進もう。
『見えるけど見えないもの』

人によって、その見え方は様々で、同じ答えはないだろう。

自分自身

見えるものは『言葉』

見えないものは『言葉の意味』

人が発する言葉は同じでも、その言葉の意味は、人によってさまざまな意味を持つ。

好きな人や、友達、家族、自分に関わる全ての人達と会話する時

言葉の意味を考えると、大切な事を知る事ができる。
言葉には、その時々の『感情』が込められている。

その『感情』が見えた時

人は『行動』できる。

その『行動』が相手に伝わった時

『信頼』が生まれる。

言葉には見えないものがたくさん詰まってる。

交わす一言一言に深く耳を傾け、心で聞く。

見えるけど見えないもの。
心で見れば

必ず見えるよ。

大切な感情を。

大切な時間を。

たくさんの

見えるけど見えないもの

探してみて。