今年も年の瀬。明日は大みそかだ。
大みそかはここ数年、ガキの使いの笑ってはいけないシリーズが大変好評で、すっかり定番となっている。
視聴率は右肩上がり、俺の周りでもこれを見ないと年を越せないとの声がチラホラ。
しかし、個人的には残念ながら毎年毎年どんどん面白くなくなってきている。初めの3回目くらいまでが一番面白かった。今年もそれほどは期待をしていない。
じゃあなぜ面白くなくなってきているのか?
マンネリ。それもあるだろう。毎年毎年相当色んな事をしてきた。ネタもどんどんなくなっては来るだろう。
しかし、それはそこまで問題ないと俺は思う。前回がスパイで今回が空港のように、シチュエーションを考えればまた違ったネタができてくるからである。
俺が一番問題と思うのは、製作費である。笑ってはいけないシリーズは、初めは深夜枠だった。放送は4週またぎ、予算も見るからに限られていた。しかし、それが大反響だったものだから、ゴールデンでSPをして、そしてついに大みそかの大特番になったのだ。
必然的に局はこの番組を押したいわけだから、使える予算もどんどん増えてくる。そこが問題なのだ。
何が起こるかというと。発想が安易になってくる。予算があるから、大物タレントも引っ張ってこれるし、壮大なセットも作れるのだ。ここで、千葉真一が出てきたらおもしろいだろうとか、ここで建物が爆発したら面白いだろうとか。
それは確かに面白いが、繰った笑いかというとそれはまた別の話だ。確かに、大物ゲストをピックアップにするにしても、人選はかなりセンスを問われる。しかし、今となっては第一回目の温泉宿で、黒人が「パンツないわぁ~」とひたすらパンツを探していた様な笑いの取り方はほとんどしなくなった。
たくさんチョイスがあればいいってものでもない。なんでもできればよいという物でもない。限られた環境だからこそ、頭を働かせてよりいい物をと考えるのである。芸人に貧乏が多いのもその要素が大いにあると思う。お金があってなんでも買ってもらえるわけじゃないから、一人でどうにか面白い遊びを作ろうと頭を働かせるのである。
これは、番組のブレーンである高須光聖氏も同じことを言っていた。初めの方が面白かったと。スケールが大きくなってくると面白くなくなってくると。
分かっていても、やはりこうなってしまうのだろう。実際たっぷり金はかけれるわけだし、局の以降もあるだろうし。
この事は最近の映画界にも言えないだろうか?最近の映画はCGばかり凄くなって、内容はまったく進歩するどころか後退しているようにさえ思われる。昔の映画は画像も、セットもいまと比べると陳腐かもしれないが、中身はどっしりと来るものが多かった。最近の映画は映像は凄いが、心には響かない。
音楽もそうじゃないか。
今ヒットチャートで流れているような日本のPOPソングを、後何十年経ってもいい歌だと人々は思うだろうか?逆に昔の、特に70年代の歌はテレビ等で今でもよく使われているし、人々の心に深く残っている。だから、「カバー曲」などがしょっちゅう生まれるわけである。
もちろん、どの時代にもあまりに大衆に媚びてで中身が空洞な糞みたいな歌はいくらでもある。今はそんな話をしているわけではない。なぜ、今の歌は残らず(残らないと仮定して。まあ多分ほとんど残らないだろう。)、昔の歌は残るか。
それは「重み」である。昔の、特にフォーク世代の歌を聴くと、その時の時代背景がすごく伝わってくる。高度成長期時代で、日本ががむしゃらに発展していた時代だ。反対に今の歌は何も伝わってこないか、伝わってきてもあまりにも内容が薄すぎる。時代背景が違いすぎるのだ。
国が豊かになり、技術が発展すると、個性は淘汰されていく。文化は廃れていく。
それが、悲しき反比例なのである。
エキセントリック少年ボウイ