2017529日のアメリカ・メモリアルデイは、ケネデイ大統領(JFK)の生誕100年に当たる。

 

JFKの誕生日には、いつも、マリリン・モンロー(MM)のことを思い出す。

 

JFKMM は、1962年前半は、「熱い関係(?)」にあった。1962年3月24日からの週末を、パームスプリングス(カリフォルニア州)で過ごすことになった。JFKの義弟・俳優 ピーター・ローフォード(PL)を通して、JFKと仲良くなり、1960年の大統領選挙では、自らが、JFKの応援歌(下掲)まで作り、歌っていたフランク・シナトラは、自分の邸宅(パームスプリングス)にヘリパッドまで用意して、JFKMMの再会の逢瀬の舞台を演出しようとしていた。

https://www.youtube.com/watch?v=QCd_fuOyuA8

しかし、直前になって、JFKの弟のロバート(RFK司法長官)は、シナトラとマフイアの関係などから、彼の提案を断ることなる。メンツを潰されたシナトラは、PLに不満たらたらで、彼らの関係も絶縁状態になる。結局、JFKMMの逢瀬は、当時共和党の主力支持者であったビング・クロスビー邸宅を利用することとなった。

 

この年、519日(誕生日よりも10日前)マジソン・スクエアー・ガーデンで、JFK45歳を祝う大誕生会が開催される。ここで、MMは、「Happy Birthday, Mr. President 」を唄い、これが、JFKとの最後の接点になる。

RFKは、MMとのこれ以上の関係は、JFKの(1964年大統領選挙での)再選に不都合として、MMに絶縁を迫ることになる(その後JFKは、暗殺される。 19631122日)。自分もMMの虜になっていたRFKは、結局、8月4日午後に義弟PLMMの自宅に押しかけ、JFKなどとの会話などを全て記録していたMMの日記(「Red Diary: MMは記録魔でもあったという人もいる。政治に関心があった?)を手に入れようとして揉め、MMの掛かり付け医も加わり、深夜に殺された(!) というのが、最近の多くのMM研究者の見立です。(私も同じ見方)。(死亡確認 85日 日曜日早朝)

この大統領への唄の後、6月1日にMMは、36歳の誕生日を迎えるが、電話も花も来なかったので、MMは、JFKとの「別れ」を予感していたといわれる。

JFK 45歳の誕生日祝いの当日のMM

https://www.youtube.com/watch?v=EqolSvoWNck

(司会のローフォードが、大統領に、「LateMMと紹介するところが、RFKの8月4日の午後のMM邸訪問・殺人(?)の伏線でもあります。)