クルエラさんの日常生活☆
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子供をいだく喜びに浸ってほしい。

すっかり育児漬けの日々です。。

写真についてですが、出産してからも子供の撮影があるので

ネタには尽きません。

ただ、時間がないだけですw

台湾で本格的な撮影をしているので、日本での子供の撮影は

やっぱり物足りないというか。。あんまり言い出すときりがないのですがねニヤリ

 

今読んでいる本で、すごく心に残った文章があるので転載します。

子供を育てているお母さんにはぐっとくるのでは。

私はカフェでぐっと来てしまいましたてへぺろ

 

 

**以下引用**

子供をいだく喜びに浸ってほしい。

 

今あなたは、とてもとても忙しいだろうと思う。

なれない幼い子供との日々に翻弄され、やってもやっても

やるべきことが終わらない家の中のあれこれにため息をつき

まして外で仕事の一つでもしていれば、なんで私だけがこんなに

頑張らなきゃいけないのよ、と腹のひとつもたち、穏やかにぐっすり眠って

トロトロと夢を見る、ということ自体がどこか遠い世界の出来事のように

思うのかもしれない。

 

おむつもかえなきゃいけないし、おっぱいもあげなきゃいけないし

ちょっと大きくなってきたら、「ママ、おしっこ」って起きてくるし。

ああ、私は毎日忙しい。ゆっくり夢を見ること自体が「夢」

ゆっくり眠りたいだけ眠った、なんて一体いつのことだったかしら。

 

残念なことに、というか幸いなことに、というか、時間というものは

ゆくりなく過ぎ、今あなたがやっているようなことはあと数年と続かない。

 

彼らは学校に行くようになり、あなたの知らないところで

あなたの知らないことをする時間が増え、あなたは夜はもう少し

よく眠ることができるようになる。そうすると、朝早くから起きて

弁当のひとつでも作り、子供の外の付き合いの後始末などもしなければ

ならなくなってくるけど。つまりは、フェイズが移る。

私はもう50を過ぎている。2人いる子供は青年になり、文字通り毎日どこで

何をしているやら。見上げるような立派な青年になって、私の知らない

彼らの日常はまぶしい。この人たちはもう私の「手の内」では生きていないのだ。

 

ときおり、私は夢を見る。

夢の中には子供たちが2人がよく出てくる。

その彼らはけっして今のような「男に育った」彼らではない。

夢に出てくるのは幼い彼らだ。

 

お話ができて、自分の膝に乗ってくれるくらいの子供である彼ら。

おそらくあと50年生きても、夢に出てくる私の子供はこの大きさであるに

違いない。あのね、ママ、あのねと、とても高い声で私を見上げ

「つまらないこと」をいちいち聞きに来たり、報告したりする息子たち。

私がしゃがまないと彼らの視線とは合わず、抱きしめれば腕に足り

抱き上げればそのまま移動できる重さ。

私の手の届くところにいる彼ら。

 

おかあさん、いまあなたの膝にいるお子さんのなんと愛おしいことか。

母として、一番良い時期、一番印象に残る時期。

あなたの子供はいつもその大きさで、あなたの夢の中で位置を占め続ける。

あなたが人生で辛いことがあった時、あなたの子供たちはそのような

大きさであなたの夢に現れる。それが現実と交錯するいまこそが

あなたの幸せでなくてなんであろうか。

涙ぐむようにして、幼い子供をかきいだく喜びにひたってほしい。

それはひとときの至福であり、長き人生のうちで一瞬にして失われる

人生の最も美しい時間だかである。

 

by 三砂ちづる

**引用終了**

 

今私が育てている子供のことを考えてうるっときたのもありますが

私の母も病床でこのようなことを思っていたのかと思うと

なおさらぐっと来てしまい。。

 

プロポーズ、結納しての婚約期間の幸せ(懐かしすぎるぜ!!)

新婚期間の幸せ(こちらもはるか昔のようでございます。。)

妊娠期間の幸せ(正直、悪阻と仕事で脳内お花畑になれなかったよね。。)

どれも2度とない経験なので、噛みしめてきました。

 

今老体に鞭打って、母乳育児をしていますが、この日々も有り難く、噛みしめながら過ごしたいと思います。

 

 

 

 

わたしの2017年のおみくじ!

明けましておめでとうございます…って、だいぶ遅いですよね(^^;;

2015年に結婚して、2016年は運良く子供を授かりました。

高齢なので(^^;;不妊治療の病院に行かなきゃな〜なんて思い、検査を受けてる中で奇跡的にさずかりました。体温表は作りましたが一周期だけであっさりと。卵管造影検査が効いたのかな⁉︎気合い入れてただけに最初は信じられませんでした。
病院の先生も、このタイミングでは妊娠しないよって言われてただけに、本当に奇跡的だと思いました。


妊娠中はつわりがきつくて、吐き気、頭痛、耳鳴り、こむら返り、止まらないゲップ、背中の筋肉痛…色々と出産前まで経験しました。こんなに苦行とは聞いてないぞ‼︎な日々でした。

生まれた瞬間はただ感動。
妊娠中に仕事も残業もして、大したもの食べてないのに、赤ちゃんのパーツが全部出来てて…私の体の最高傑作だと思いました。

出産してからがまた聞いてないよ‼︎な日々の連続。
帝王切開の痛み⇨便秘⇨母乳出ない⇨寝不足⇨はっ⁉︎落ち着いたと思いきや予防接種ですか⁉︎な流れです。

本当は台湾に旦那さんといって、九份で写真を撮るつもりだったのにな。

人生は予測できないことばかり。
相変わらず、展開の速さについていけません(笑)

おみくじひいたら大吉でした照れ
今年も良い年でありますように。


わたしの2017年のおみくじ結果は・・・





人生、何度でもやり直せる

久々にパソコンからの投稿。
なのでちょっと長めに書こうかと思ってます。

結婚して、新婚旅行にいっててこれまでの人生を振り返ってみました。

実は私、英語が全然できない落ちこぼれでした。
中学から私立に行けたんだけど英語ができなさ過ぎて1年の6月くらいの時点で
学校やめる?みたいなこと言われてたw
それっくらいバカでした。he, his, himがわからなかったのだ。

それが今では私立だけど外大の英米語を出て外資系商社で外人相手に仕事。
当時の英語の先生が聞いたらびっくりすると思う。
私も落ち着いて考えたらすごいなぁと思ってる。

なぜ英語ができるようになったのか。
2年の時に女の英語の先生が来たのだ。
彼女の教え方というか、それがあってたんだろうね。
ちょっとわかると楽しくなって、英語の歌を聞いたり、興味あるフレーズは辞書引いたり
この日本語を英語で言うとどうなるの?とか考えたりしてた。
3年生のころには英語で何とか点数引っ張って付属高校ではなく
外部の高校を目指すクラスに入れた。

で、さらに高校で海外研修にいっていろんな国の人と話すことが楽しいと思った。
というか、当時は親元離れて高校生の集団で寮生活だったりするのが楽しかった。
そのまま英語は好きなままでいて、進路を決めるときになってxxxになりたいという
職業はなかったので、とりあえずつぶしが聞くと思った英語を学べるようにした。
英文学科もあるけど、本が読みたいわけでもなかったので、話すようになりたかったので
外国語学部を希望しました。

そこでも私はまだまだバカw
うかりっこないくらい偏差値は低かったのだな。
でもあきらめずに推薦枠を受けて、とーぜん落ちて。
次本試験しかない!ってなって焦った時に特進クラスの担任(私は普通クラスの生徒でした)
からなぜか声がかかり。どうやったらその外大に行けるのか相談をしたのかな。
今は違うけど、当時その外大は英語と小論文がテストされるだけだったの。
英語ではとてもとても無理なので、あえての小論文を磨くことにした。
新聞の投稿に乗るようないい文章を書けるのであればある程度英語ができてれば落ちないだろうと。
いやーこの特進クラスの担任が国語の先生だったのかな。
この人のおかげだったなぁ。

で、無事に第一希望の英米語学科に合格。
今でも履歴書に書くときには夢みたいだと思うもん。
それくらい私は英語できないおバカだったのだ。

中学のとき、やさぐれて英語から逃げてたら。
高校のとき、あきらめてほかの学科とか方向変更してたら。
今の自分はなかったのだろうなぁと思うと本当に当時の自分と環境に感謝したい。
当時お世話になった先生にもう一回お会いしてお礼したいと思う。


できない、難しい、無理だと思うことももしかしたらできるようになるかもしれない。
それがあなたを守ってくれる一番の武器になってくれるかもしれない。
人生とは本当に不思議でなにがあるかわからない。
今結婚して幸せでいるのも、5年前の私からしたら想像つかなかったと思う。

人生はいくらでもやり直せる。
だから今は辛い、大変であってもやさぐれずに希望をもって^^

久々にいい話でチタ。

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