私が幼少時の住んだ羽越本線沿線の村(当時)では蒸気機関車がみられた。


羽越本線の電化開業は昭和47年10月だった。

往時小学4年生…


それ以前は「汽車の走る里」であった。


当時、学級でも「もう汽車はみられなくなるんだ」と話題になっており、

放課後には級友と最寄り駅へ集まり汽車見物をしたものでした。


蒸気機関車の発車シーンは迫力のドラマ。

猛々しく吹き上がる黒煙、勢いよく噴出される白い蒸気。

子供には大変興味深くいんしょうにのこるしーんでありました。


自宅付近を蒸気機関車列車が通過する際、

上り勾配となる上り列車が通過すると風向きによっては、

汽車の煙が自宅を覆いつくしなんともいえぬ石炭の芳香がしたものですが、

母は家や洗濯物が汚れるのを嫌い「早く此処も電車にならないかしら」と

訝しそうにしていました。


私は小遣いに恵まれていた子供であり、

よく独り内緒で汽車に乗り沿線へミニ旅行したものですが、

当時の「鉄道のニオイ」は強烈で、

とぼけて帰宅しても家の誰かに「あんた、今日汽車に乗らなかった??」と

ばれてしまうのでした。




CROWN131のブログ-あきた路号2012/10/20


画像は10月20-21日に奥羽本線 秋田-東能代で運転された「あきた路号」

懐かしさのあまり子供を連れ撮影に行ってしまいました。

汽車の汽笛の音、煙のニオイ、涙が出るほど懐かしさが込み上げます。

私が生まれたのは昭和中期のこと…

 

昭和38年!


もう50年も昔の事なのですね。


母の実家のあった福島県の会津若松市の産院で生まれました。

当時の市長さんは横山武 氏 母子手帳に書いてありました。


里帰り出産なのですね。


会津の実家は市街中心地にあり、

私の幼少の頃までは賑わいのある街でした。

秋田の田舎村よりも安心感があったのでしょうか?


歴史と風情の素敵な城下町 会津。

幼少の頃は毎年2~3回程訪ねて観光したものです。

お盆、正月の祖父母宅には親戚が集まり叔父叔母従兄弟たちと

楽しく過ごした思い出がいっぱいの街。


歳月は流れ身内のものは誰も居なくなりお墓が残るだけとなりました。

いまでも時折ふと訪ねたくなる街です。


生後から暫く経ち秋田での生活が始まるのですが、

小さな赤ちゃんだった私は400kmも離れた秋田へ

どんな交通手段で来たのでしょう?


会津若松から当時走っていたディーゼル急行(準急?)で新潟へ出て、

長時間待合の末に下りディーゼル特急白鳥に乗り継いだのかな?


母もあまりよく覚えていないようです。

羽越本線には何本かのディーゼル準急や、

蒸気機関車牽引の普通列車が走っていました。


私は赤ちゃんの頃から頻繁に鉄道旅行する

生活を過ごしたようです。

みなさまはじめまして。



ずっと以前からアメブロに登録させていただきながら、

永いことなんにも書かず長期放置状態でした。



ブログメンバーの方々の記事を拝見させていただいたり、

コメントさせていただいたりのみの参加状況でした。



自らの複数のジャンルの違う趣味ごと別々にブログを書いていましたが、

アメブロではそれら一まとめになんでも書いてみようと思います。



趣味に捉われず思いつきでもなんでも。



よろしくお願いします。