今月末で「フミヤ」を閉めることになった。
化粧品は、去年の6月をもって商品を清算し、きょう 体操服も清算した。
昭和28年からやから、ここの場所で61年
その前は、「荒木商店」として 今の「ことば蔵」の場所、宮ノ前商店街で・・・
僕の曽祖父が 小学校の校長をやりながら 開いたお店って聞いている。
小間物屋で 結構なんでも売ってはったらしい。
祖父が戦前かなり大きくしたようだな。
きびしく几帳面な祖父で、ものを大事にし 僕なんかは よく怒られたものだ。
戦後、ものがない時代。
宮ノ前商店街には 川西・尼崎からも人がきて たいそう賑わっていた時代があったよう。
昭和28年に 何故、この場所に移ってきたかは、親父にも祖父にも聞いていない。
でも おじいちゃんは 見通していたのかもしれないな。
いろんな人に迷惑をかけるほど 酒好きの親父。
そして、黙々と働くおかあちゃん。
おじいちゃんは、僕が中学に行く頃には もう引退して、荒牧に家を建てたはったな。
「フミヤ」は この場所に移って、モノを揃え 福助の下着からWranglerジーンズまで(笑)
昭和40年代からは化粧品に力をいれ、阪急伊丹駅にテナントとして入る予定だったようだな。
人員の事などが原因で、それを断念し ダスキン・訪問販売の化粧品などにシフトしていった。
時代も ダスキンや訪問販売の時代に ちょうど入った頃だな。
これからって時に、おかあちゃんは亡くなり(僕が22んとき)
それから、姉が「フミヤ」を支えてきた。
おかあちゃんが死んだ2年後、もうひとりの姉啓子も 海で亡くなり・・・・・
それから ぼくが「フミヤ」に戻ってきた。
あれから34年
きょう ひとくぎりがついた。
思えば、時代とともに「商い」をいろいろ変化してきたものだな。
で、次だな。