先日ふっと思い出した小学生の時に通っていた英語スクールのクリスマス会。
一人一品持ち寄りで大きな会場にスクールのみんなが集まって喋ったりご飯食べたりするだけなのだけれど、この日はちょっと思い出深い。
母が作ってくれたのはすりおろした人参の入ったパンケーキ。
僕の家では昔からよく食べているなじみ深く懐かしい定番の味。
僕はほんとうにこれが好きだった。
クリスマス会当日、母が一生懸命につくってくれたパンケーキをアルミホイルに包んで持って行ったの。
そうしたら皆はフルーツポンチやらハンバーガーやらをきれいな器に盛って飾ってた。
そこで僕はちょっとだけパンケーキを出すのをためらってしまったのね。
母が悩みながら、持っていくにはこのやり方しかないナァと言って丁寧にアルミホイルにつつんでくれたもの。
それでもみんなの出す料理に、これは場違いだったなと感じながら結局出した。隅のほうに。
誰か食べてくれるかな、食べてくれたら絶対に美味しいのになと思いながら。
会が始まって各々料理を取りに行って隣の子とお喋りしながら食べるご飯は美味しかったしとても楽しかった。
もちろん母の作ってくれたパンケーキも食べた。
そんな時、ふと隣の子が言った「Waiちゃんの持ってきたケーキ誰も食べてないよ(笑)」という言葉。悔しかった。
心配するというより、そりゃそうだよね!ってカンジで言われたのが悔しかったのよね。そりゃもうかなり。
だから意地になってパンケーキは全部僕が食べた。
少し泣いてたかもしれないけれど、母が大切に作ってくれたものを馬鹿にされるのは悲しかったし、食べたら絶対美味しいのにな。ってショックだった。人参の入ったパンケーキ。
で、結局帰った後、案の定母に「あれで大丈夫だった?」と聞かれたので、僕は自信をもって答えた「全部なくなったんだよ!美味しかった!」って。
母は「良かった~」とほっとしていたけれど、僕の心はボロボロだった。
隣の子が悪意もなくいってきた、そりゃそうだよね!が本当に悔しくて悔しくて悔しかった。
だから母に悲しんでほしくなくて、全部食べて嘘をついた。
母はまじめな人だから「子供に恥ずかしい思いをさせないように」と頑張っていてくれたことを知っている。だからこそ嘘をついた。
「嘘をついちゃいけません」って言われてきたけれど、その時は「ごめんなさい」と思いながら嘘をついた。
他に母が喜んでくれる言い方がわからなかった。
それももう思い返せば20年近く前のお話。
クリスマスになると思い出してしまうのだけれど、未だに悲しくモヤっとした気持ちになる。
相手も同学年の子供だったから、今思えばささいな一言だし、子供にその善悪が区別つくほどの年齢でもないからしかたがないことなのだけれど、母の努力を笑うな!!と思ってしまうのですよね。
とかく母の優しさについては僕はとても敏感で、割と心配性で苦労性な母だからこそ、そのやわらかくて弱い部分を僕は守りたいと思っている。
一度それを粉々に砕いてしまったことはあるけれど、その気持ちは一片も変わらないな。
母の弱さはそのまま優しさであるし、少し自己犠牲的なところがあるのは心配だけれど、母なりに苦心して日々過ごしているのだなと思うことが増え、なんだかとても愛しいです。
母が母で良かったなと思います。
そして僕の母でいてくれてとても嬉しいです。
これを母が見て「あのときアンタ私に恨んでるって言ったでしょ!!」と思うかもしれませんが、母の事は愛していますよ。
誰よりも繊細だからこそ幸せな日が増えてほしいと思っています。
口先だけだと捉えられても、調子がいいなと思われたとしても、それは僕が積み重ねてきたことの代償なので信じてもらえなくていいけれど、母が嵐のコンサートに当たったときとか、一緒になってまた喜びたいですね。母の生きがいですから。
それでも明日は東京ドームが当たったのでママ友と一緒に嵐のコンサートに行くそうですよ。
楽しそうにうちわを作っている姿を見ると、これを壊したくないな、守りたいなと思ってしまいます。
明日は全力で楽しんできてほしい!
端的に言ってしまえば、マザコンなんだと思います。
ファザコンでもあるし、シスコンでもあるし、ブラコン×2でもあるのだけれど、病気が治るにつれ家族愛とはなんたるかを掴みかけている気がします。
みんなが毎日楽しく過ごせたらそれでいいのよ。
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とあるサイトを見ていたら、60代になれば統合失調症の症状が落ち着く人が大半です。みたいに書かれていて、それに対する複雑な心境をつづってみました。
僕は手放しで60代サイコー!ってなれるかしら?
「精神を患うと頭がこういうことになる」
統合失調症の症状が60代で落ち着くと言われましても ☆NEW☆