15日には来ていたはずの生理がきてなくて。

生理が止まった。

現状↓

リウマチ治療で週1リウマトレックス❎4 

 リマチル朝晩 胃薬朝晩 ビタミン剤週1

ロキソニンシップを処方され治療中


しかし生理が止まり、今週のリウマトレックスをどうするか迷った。

病院は、オリンピックの関係で祝日になりやすみ。

万が一妊娠でもしていたら。

もししていなくても婦人科系のこわさはよくしってるから怖い。

で。金曜のリウマトレックスを見送り、今日婦人科と整形外科へ。

まず、子宮、卵巣、問題なし。

妊娠なし。

子宮頸がんの検査をして1週間後の診察となった。

生理をくるのをあと1週間待つと言うこと。

ストレス?MTXの副作用?

生理痛のような、鈍い下腹部の痛みと、猛烈な腰痛がある。

なのに出血せずとてもしんどい。

こんな経験はじめて。

怖い。

続いて整形外科へ。

まずは問診で↑の事を伝える。

握力は相変わらず13とか15とか。子供レベル。

次に肩こり、腰痛、倦怠感、気分の悪さ、胃腸障害

右手首が痛いことを伝える。

ここまでは看護婦さんがPCに打ち込みながら話を聞いてくれる。

その後先生がくる。

先生が看護師さんの履歴を見て、生理は関係ないですね、と言った。

え?ほんまに?しらべたら結構生理不順って出てくるけど、、。。

その後エコー。

右手首→メラメラと燃えている。先生もあぁ。とため息のような声を出しながらエコーを続けた。痛みを感じる場所全てにメラメラが見えた。

かなり強い炎症。MTX効いてない???

次に先生は左も。と左の手首もみた。

何と。メラメラ。かなりメラメラ。

同じく強い炎症反応。

あぁぁ。とまた。

何で。MTXは効いてないの?

全身がどんよりしんどくて、肩が下がるかんじ。

先生の、話もなんだかはい、はい、と聞いていた気がする。

先生は薬が効かないのかもしれない、と、注射のアクテムラの話をしてきた。

とにかく頭が痛い、腰が痛い、体がだるい、微熱、そして手首の痛み。そこに薬の副作用も相まってまさに側から見たら怠け者級の動き。だけど、本当に本当にしんどくて、本当にうごけない。

精神ももたない。

今日は病院を出た瞬間から、大声で弱音を吐きたい気分だった。何でこんな事に。というか、何でこんな目に。というか、何で私が?というか、なんとも言えない不安と絶望と恐怖の塊みたいな感情に襲われて泣きそうだった。

でも、泣くと弱くなるからあんまり泣かないように心がけていて、流れる事なく気丈ないつもの自分に戻した。

でも、なんだかそれも調子わるくて⇅⇅⇅⇅こんな感情だった。

私がこんな状態になってる事にまわりは全く気づかなくて、本当に虚しくなる。ポカンっ状態。

しかたないと言えば仕方ない。

出産の痛みが男にわからないように、病気の痛みも同じ病気にならないとわからない。

私はリウマチの痛みは骨折。の表現はあながちまちがっていないと思う。

それは、骨折もリウマチも経験したからわかる事であって、わからない人もいる。

しかも、ずっと骨折。が正しい。想像したら痛そうなのは伝わるかと。とにかく痛い。

そして、ずっとインフルエンザからの病み上がり。みたいな体調を維持している。

時に胃痛。フラフラ。自律神経も患い、急に暑く、急に寒い。

何が原因か、常に頭痛。腰痛、肩こりは寝てても痛い。何をしていても痛い。

突然膝が痛みだす。みるみる痛みが増して、階段は登れなくなる。

この症状はかなりの消耗を伴うので倒れそうになる。そしてすごく疲れる。

なので、1日なにもしなくても、夜にはすごい疲労。

なんて言うんだろ。何にもできないってこんなにも心が壊れるんだな。

明日またMTXを飲んでさらにダウンするであろうから、今のうちに今のことだけ書いといた!

終わり。

もちろんしばらくの間は骨がガシャガシャなるし痛みが猛烈で寝たきりでしたが、すぐに車いすを使うようになった。

家の中で車いす。

旦那は車いすさえあればなんでもできると思っていた。

できるわけないやろ、痛いねんぞ。と思っていたけど悔しかった。

こんな扱いを受けるんなら何がなんでもやってやる、そう思った。

家の中で車いすで移動し、トイレやお風呂まで移動。

そこで松葉づえに変えて細かい場所を行き来する。

キッチンにも車いすで入っていき、上半身だけ少し持ち上げて料理をした。揚げ物だってしてやりました!

洗濯も色々な棒をつかってこなした。100均にある子どものおもちゃをつかったりBBQ用のトングをつかったり!

掃除もした。車いすでクイックルワイパーをもって床を拭き、持ち手の長いコロコロを使って動き回った。

病院へははじめは30分の距離を3時間かけて汗だくで歩いた。

リハビリにもなるし落ち切った体力を少しでも復活させる方法だった。

車に乗り出すまでは買い物はネットスーパーだった。

手渡しが条件の宅配もすぐには出ることが出来ない事。

でたところで渡されても持てない事。を説明しておいておくシステムにしてもらった。

玄関に積まれた買い物をキッチンに運ぶだけでも大変な作業だった。

ネットではどうしても買えないものについてはまた長い長い時間をかけて買い物にいった。

手では持てないのでリュックを背負い、両手に松葉づえをつき、汗だくになるので首にタオルを巻いて行っていた。

そんな風に私が意地でもこなした結果。

家族がどうなるかというと。。。。

まるで折れていないかのような感じになる、そして錯覚を起こしけが人に言う事じゃない!ような事を平気で言うようになる。

旅行に行こう、温泉に行こう←温泉に入れると思っているの?

階段、のぼるのすごく大変。

上がったり下がったりするのすごく大変。

車いすをずっと押されているのも気を遣う。

何故なら、車いすを押している人間が、あーしんどい、あつい。お前はいいよな、乗ってるだけで。楽しやがって。と言ってくるから。

じゃあこなけりゃよかったよね?

骨折して歩けない人間がいる。

そんな人間に、できる事だけすればいい、車いすは押す、と自ら言う人間が当日になるとこれもできへんの?ここもいかれへんの?

なんで来たん?と聞いてくる。

だから嫌だったんだよ。

今どこへいっても、あれもできないこれもできない、お前のせいで。

となるし、こっちも自分のせいで楽しくなくなっている、そう思わざる負えないから。

で、実際に行って、すべて予想通りの事がおこりました。

こんな家族の形ってないよな、と思いながら、でも自分が全快じゃないのでなんだかもやもやが残ったまま時だけが過ぎる。

ストレスと疑問だけが膨れ上がっていく一方で、無理やりにでも動いていたおかげか車の運転ができるようになった。

こうなれば、旦那からした私はもう治ったも同然。

逆にできない事はもうないんじゃない?レベル。

私もいつしか、なにもしてほしくなくなっていた。

なにかしてもらうと小さな事でもしてやった、とわざわざ言ってくるので逆にストレス。

だからますます自分で動くようになった。

娘と自分の母、姉と旅行にもいった。私の運転で!

家族におしてもらう車いすがこんなにも楽だなんて。と感動した。

段を上るとき、段行きまーす。と声をかけながら。

疲れてない?と気にかけてくれる。

車いす自分でおすと腕がパンパンになるんちゃう?ともんでくれる。

私が知ってるのってこうだったから、何もいわずにダッシュで車いすを押すとか、段で痛っってなったときに我慢しろよ、と言われるのは本当に苦痛でしかなかった。

長い時間をかけて骨はくっついていった。

完治するまでに1年もかかった。

走れるようになったころには次の夏が来ていた。

続く

 

 

 

 

どうしてか感覚をつめて行進することができない。。

今まで見たいにコンスタントにPCに向かう事が出来ない。

ふう。やんでるのか?

ささ、続き続き!

ほねがおれてまずぶち当たった我が家の問題。

それは、当時まだ1年生か2年生の娘のお世話ができない事。

漠然とした不安。

ごはんはどうする?

洗濯は?

毎朝の髪の毛はどうする?

買い物は?習い事は?

すべてが私にかされた課題だった。

旦那はこれからどうするつもりか、飯、世話。

当時は成犬のパピヨンをかっていたが、その子のお世話は?

何もかもどうするつもり?だった。

こんな時ぐらいは俺がするよ。そういわれると勝手に思っていた。

でも現実は恐ろしく残酷。

そこでずっと痛い痛いといわれるのは迷惑。

家政婦を雇う、何もできないやつが偉そうに意見してくるな、とまあひどいこと。

娘がうまれてから、ずっとそんな感じだったな。

なにかあれば私のせい。私になにかあればどうするんや、とすべて私に聞いてくる。

一緒に考えるきはなし。

協力する気もなし。

挙句の果てに夏休みにケガなんかしやがって、娘がかわいそう。

どこか連れて行ってやらないと。

と出かける予定をたてようとしていた。

え?つらい時はみんなで乗り越えよう、じゃないんだ。

お前のせいで夏休みが台無しとまでいわれて泣いた。

泣くと、なんで泣くねん、仕方ないやろ、お前なんもできへんねんから。

その時は言葉につまってしまい、言いたい事が言えなかった。

私のせいで。とどこかで私も思うようになっていたから。

ほんとはこう思った。

私はあなたや娘がしんどい時、遊びには行かないし、できる事をしてあげようと思う。

もちろんそばにいようと思うし、たとえばそれがケガなら、外出をそもそも控えるだろう。

代わりに俺がやるのではなくて、お前ができないならできる人を雇うと言われてすごくむなしかった。おられてもなんもできへんなら入院してくれへん?そしたらこっちも気使わんでいいし。

とにかくひどい人だと思った。

そんな時ぐらい大丈夫?無理しないで、って言ってくれると思った私が浅はかだったのかな。

そんな父親の言葉を聞いている娘はもちろんお手伝いなんてしてくれない。お願いすると嫌な顔。もうむなしいを通りこして無になった。

何もできない自分。

そんな自分をまるで迷惑しかかけない邪魔者かのような扱いをする家族。

すぐに出ていきたくなった。

複雑におれたせいか痛みはかなり強く。脛から下を何か所もおってしまったのでどれだけ気合十分でも起き上がる事すらできない。

熱も下がらず、汗だくになっても着替えは自分。

トイレも諸時期はじめはすぐに行けず、でっかいおむつみたいのをはいてすごした。

とにかく悲惨。

家族との温度差。

もう壊れそうだった。

旦那の思う嫁の役割が見えた気がした。

旦那の理想とする嫁が見えた気がした。

旦那は自分以外を大切にしない人なんだと確信した。

自分の生活に支障がでるものは全部いらないものと判断する事がわかった。

娘がお手伝いをしないのもだらだらして最終的にママがするのを待っているのも全部旦那のせいだと思った。

この人と生涯をともにすることは多分不可能だろうと思った。

そして早く足を直して出ていこう。

これだけを目標にがんばった。

そして私がとった行動は思い返してもすごい!!と思えるものになった。

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

目の治療が終わってしばらくするとすぐに手足の痛みはでてきました。

初めて症状がでたときは手の指だったけどだんだんと症状がでる場所や時間、痛みレベルは変化していきました。

そして、夏のある日、家族で海に遊びにいったときの事。

サーフボードにまたがり遊んでいました。

何てことない海遊びでしたが、私がサーフボードからピョンっと飛び降りたと同時に「バキバキバキバキ」と音が聞こえました。

自分ではすぐに気が付きました。

あ、あしの骨が折れた。しかも結構折れた音がした。

ただ浅い海に向かってジャンプしただけだったのにこの瞬間に私の脛から下は4か所ボキボキとおれたのです。

水の中で折れてしまった私はとりあえず起き上がらないと、、

右足でなんとか立ち上がろうとすると、左の足が激痛と一緒に浮き上がってきました。おかしな方向を向く左足。見ると余計に痛いんですよね。

あまりにもおかしい方向だったのでおれてすぐ、まだアドレナリンが出てるタイミングで方向だけゆっくり修正しました。

これがのちで役にたちました。

少し離れたところで同じく遊んでいた娘とパパをよび、「パパー。助けて。あしの骨おれたー」と叫ぶと

「は?なんで?」と焦りゼロのパパ。

しかしパパが来る少し前に私の異変に気がつた近くのサーファーが「大丈夫ですか?」と心配してきてくれました。それをみても焦る事はないですが、、、。

「なんで?折れてないやろ。捻挫したんちゃう?」と伝わらない。。

主人は骨折をした事がなく、普段から海に行くのでこんな浅瀬で骨がおれるわけがないと思ったそうです。

したし私には骨が折れる音もしっかり聞こえたし、足の方向をおかしかったので、「いや。折れた、折れるときだいぶ音した」と話しながらどんどん呼吸が浅くなり肩でしか呼吸ができなくなり始めた。

「とりあえず病院」といいながら起き上がれない。

灼熱の砂浜でパパがとった行動はとりあえず歩いて。だった。

歩けるかい、、と思ったけど確かに海の中。

陸まで行かなきゃだし、水着着替えなきゃだし。

涙ぼろぼろこぼしながらなんとケンケンで砂浜をジャンプして更衣室まで移動したのです。ジャンプのたびに左足の中では骨がシャカシャカうごいて死にそうに痛い。

なのに主人はどんくさい、なんでそうなるねん、せっかくの休みがだいなしや、と心なんて一つもない発言を繰り返し、自分がいやになると同時に心底旦那がいやになった瞬間でした。

出かけ先の徳島県で総合病院を探し、すぐにむかってもらいました。

その間も骨折はないやろう、せいぜい捻挫やろ。と言われ続けて上がる息の中とにかく涙が止まらなかった。

日曜日の病院は人が少なく、すぐに呼ばれました。

レントゲンしつに移動するのもほんと痛くて看護婦さんも「すごく腫れてるね、おれてしまってるかも」と。。

結果ただの骨折ではなく、足の中で骨が粉々になる粉砕骨折と診断されたのです。

ここでいろんな感情が。。。

やっぱり折れてた、痛い。。

ほら、やっぱり折れてた。よくも骨折していたい私に飛べとかいうたな。

これからどうしよう、何もできない、まずは家に帰らなきゃいけない、、そもそもなんで折れたんだろう。

家まで4時間ほど。

車に乗ってられるかな、、などなど怒りと恐怖と不安と焦りととにかく忙しい感情だった。

帰宅してからもまた近くの病院で診察のやり直しと松葉づえや車いすの準備。帰宅してからの生活のために部屋の家具を動かしたりとばたばた。

その間もことあるごとに主人からは心全くなし発言が投げられ続け私は骨折の炎症から数日間発熱して寝込み起きてるときは痛みととにかく感情が治まらず泣いてばかりいました。

ここからしばらくは炎症を抑える薬や抗生剤のおかげなのかリウマチはおとなしくいしていてくれてそこにだけ感謝。

しかしこの間、私は心がやんでしまいこれまたつらい1年を過ごします。

~続く~

 

お久しぶりのアメブロです。

2009年に生まれた娘はもう小学6年生。

まずはざっくりなぜ再開することにしたのか。。。

 

①膠原病 悪性リウマチ、強膜炎、関節リウマチ?

まず、コロナが流行りだすよりもっと前から私の体に異変が起こり始めていました。

朝起きると手がパンパンにはれていて動かす事ができない。

曲げることもできず、トイレにいってもどうやって拭こうか。。

ただ、時間の経過とともに症状は消失し、

お昼ごろには何事もなかったかのような手に。

原因は不明でした。

わからないものの、数時間で症状はなくなり日常生活が送れないわけではなかったし、私自身が育児、家事におわれ自分の事に時間をかけていられなかった。

そのうち指の症状は指1本から指3本とか4本と増えていきました。

悪化しているのでは?と思いながら病院に相談へ。

血液検査など行いましたが、異常はなし。

そしてある日、朝起きると膝が曲がらない。

この時には手の指が固まったと思うとその日の夕方には膝が痛くなり、手首が痛くない、足の付け根がいたくなりました。

どれも長時間続くわけではなく、痛む場所が移動している、と感じていました。

娘の髪をくくることができず、トイレでパンツを下すのが苦痛になり、ペットボトルは開けられなくなりました。

もう一度病院へ。

痛み止めとシップを処方され様子見。

しかし、症状が続く事から違う病院へ。

ここでもはれた手の写真や、症状を細かく説明し、血液検査をすると異常なし。

自分でもいろいろと調べていたからリウマチではないのか?なにか膠原病を患っているんではないか、と思ってはいました。

症状は確かに当てはまるけど血液検査でなにもヒットしない事から医者は見る気なし。

大きな大学病院では、「その程度できたの?こんなの大した事ないよ」などなどいわれ怒りとあきれで二度と来るか、と捨て台詞したのを覚えてます。それからは痛みがあっても腫れていても

我慢して過ごしました。

よくなる時期もすごく悪くなる時期もあり、なにがきっかけ化はわからずも、自分の中でのストレスはかなり大きなものになっていました。

そして数年そんな症状と付き合いながら生活していた時、最近なんだか目が痛いな、と思うようになったのです。

私はアレルギー体質で、コンタクト。

アレルギーでてるわー。程度にしかおもっていなかったけど、着実に毎日悪化していきました。

眼科にいって相談したら結膜炎と診断されました。

結膜炎にはわりとよくなるので、ほんと?こんなに目痛かった?

と疑問に思いつつ今度はかかりつけの眼科での受診だったので信じて目薬を続けていました。

しかし、症状が治まる気配はなく、日々悪化ししまいには目を開けておく事が出来なくなってしまったのです。

眼科から紹介状を書いてもらい、大きな総合病院へ。

そこで、なにか持病はありますか?かわった事はありませんでしたか?と色々質問され、まさか関係があるとは思わなかったけど一応、手首や指、足が痛くなって腫れる事がありますが、病院で検査してもらうとリウマチの反応はでなかったのでいはっきりとした診断は特に出ていないことを伝えた。

視力の検査から始まり、さすが総合病院、大量の血液をとって調べる知らべる。

やはりこれといってリウマチと確定されるような数字はでなかったものの、初めてこの時医者の見解に変化が現れました。

眼科医の見解は、この症状は‘強膜炎‘です。

強膜炎はあまり聞いたことがないとおもいますが、この疾患はリウマチの症状として現れます。

しかも関節リウマチの症状は名前の通り関節に強く症状がでるものですが、強膜炎がでる場合は関節リウマチではなく、悪性リウマチと分類されます。

血液や体の中にも症状があらわれるものです。

今までリウマチと言われなかったんですか?と。

今までの経緯を説名しました。

症状が強く何度も病院には行ったが、結果としてあなたはリウマチではない、と言われていたこと。

だけど症状はリウマチと自分でも思っていて、理解してもらえない事がつらく、腹立たしい日々だったと。

強膜炎は緑内障になる可能性が高いので観察もしっかりする必要があり、ひどくなってしますと視力を失い恐れすらあると説明を受けました。

さらに腹が立ちました。

もっと早くこの病気を見つけてもらえれば私は強膜炎にもならなかったはずだ視力を失うなんてリスクを負うこともなかったのに、、、。町の眼科医では処方する事が出来ないという目薬を処方されて通院が始まりました。

一日中目があけられない、目を開けると痛くて痛くて涙が止まらな。目薬が痛い。

飲み薬と点眼でしばらく治療するも、両目に症状が出始めた頃、日光を少しも見ることができず失明のリスクがあっがってきてしまい、最後の手段として眼球に直接ステロイドを打ち込む処置を行いました。

人生で初めての経験です。

注射針を見ながらそのまま目に突き刺さっていく。

恐怖の塊のような処置でした。

何より失明に恐怖を感じていたし、通院もとなり町まで自分で車を運転していました。

運転自体よくない状態でしたが誰かが連れて行ってくれるわけでもなく、泣きながら病院に通ったのも思い出します。

目の治療にはそれはそれは長い時間がかかりました。

半年以上。その間手の痛みや足の痛みはそんなにひどくなる事なく目に集中できていた甲斐もあって少しづつよくなりました。

最後の診察の時に、「血液に何もでなくてもリウマチだと思います。同じ症状がでる事も十分に考えられるのでストレスをためないように過ごしてください」と一番私にはできないストレスフリーを求められ終了。

~続く~

週末。
特に食事制限もないので、ケンタッキー食べたり、おかし食べたり。
娘は義実家にて楽しく週末を過ごしたようで私も安心😌
病院での、退屈な週末を乗り切り、週明け、月曜日。
血液検査でHCGが下がっていれば、退院できる!
結果、HCG 1800
まさか。上がってる。
なんで。下がってるつもりだったし、退院するつもりだったし。
もうテンションが落ちすぎて泣くしかない。
仕切り直しでもう一度、MTXを打つか、腹腔鏡手術でお腹の中を見てみるか。どうするか私に選択権がありました。
自暴自棄に、なってるし、イライラしてるし、今回MTXが効いても卵管が使い物に、なるかどうかはわからない。と、、。
なら、そんな卵管、いらないって思った。
だけど、卵管をとるってことは、もう自然妊娠はしないってこと。
選ぶには時間が短すぎたけど、待つこともできないと医師に言われて、MTXを打つことにしました。
2日間、特になにをするでもなく、体調もあまりよくなくて、DVDみたりしてすごしました。
この間、血液検査もエコーも無くて、ただのお泊まり状態。
そして3月13日。
血液検査とエコー。
相変わらずなにもうつらず、タラタラと出血は続きました。
結果、HCG 1550
あ、上がっている。。
先生にはMTXのせいで一時的に上がることがあるので、あまりきにしないで、月曜日の、血液検査でHCGが下がっていればいいからね!と言われましたが、励まされてる気はしなくて、ブルーに。
病院についてすぐ、パジャマに着替えて、点滴開始。
子宮内ソウハ手術を受けるために点滴の針は太いやつ。
でも、私も血管細くて💦なっかなか入りません。。
やっとの思いではりをさし、しばらく寝てたら看護婦さんがきて、「そろそろ処置を始めましょう」って。
外来の処置室まで降りる必要はなくて、入院の病棟同じ階で処置を受けることが出来るので、すぐ着きました。
まずは普通にエコーと内診。
「はい、眠たくなりますよ~」と一気に静脈麻酔。
しばらくは天井見つめて、気がついたらはい、終わりましたよ~。
もちろん歩けなくて、横になったまま部屋に戻りました。あたまフラフラでよくわからなかったけど、「途中で目が覚めて先生追加したからしばらく、ふらつくよー。」って。なんとなく聞こえました。
それからまた眠ってしまい、目が覚めたらもう夕方。
そしたら、別の医師が何人か部屋に入ってきて、注射ですー。と。。
そうだった。
今回、エコーにもなにもうつらないが、HCGだけが上昇するので、子宮内ソウハをした後にMTX(抗がん剤)治療をする事になっていました。
抗がん剤治療、、始めは意味がわからず色々聞きました。
赤ちゃん成分をポリープとみなすんですね。
ポリープを抗がん剤で攻撃する。
要は流産させるってことですね‼️
注射は筋肉注射?だったのかな。
一気に流し込みました。
おー痛い。
注射してしばらく。気分は悪くて、目眩も酷くて、フラフラ。
そのまま寝てしまいました。
あれから、たまにある、腹痛とタラタラ続く出血とがあるものの、普通に生活。
朝から採血だけしに一度病院に行って、午前保育の娘を迎えに帰宅し、採血結果が出る頃に娘を連れて病院へ。
待ち時間が長く、娘はグタグタ。
私は万が一のことを考えて、娘は診察室には入れたくなく、待っててね!と言うが、いつもは待ってくれる娘、こんなときに「いやだ、ママと一緒」と聞いてくれず、中待合までは入らして無理くり待たせました。
エコーには、やはりなにもうつらず、今日で終わりだな。と思っていたが、、、
「HCGが、1100に上がっています。
流産ではなく、子宮外妊娠の可能性が極めて高いので、入院になります」と言われて、頭真っ白。
娘連れてきてるし、明日からも幼稚園あるし、、、。
先生に相談し、今日だけ帰宅してよし、明日朝イチから入院。となりました。
娘は看護婦からの入院説明を聞いて、「まま、入院するの?」とみるみる目に涙がたまるものの、流すことなく耐え切りました。私も優しい言葉をかけたら、娘がやだーと泣き出すかと思って、一瞬ね‼️と軽く言いました。
とはいっても、しばらく娘と離れ離れ。
今日はピザを作ろうか‼️とたくさん買い物をして、ピザをつくり、食べました!!
娘が寝た後は、明日からの娘の準備や、幼稚園の持ち物、洗濯、などなどできることは全てしました。
よくあさ、幼稚園の用意をして、病院まで送ってもらい、「がんばってくるね!」と言って、病院へ。