シューマッハ自身が常々語るのは、「セナはアイドル」
シューマッハが若かりし頃目撃したというセナのカートドライビングは誰が見ても才溢れるものだった。
まずはこのアイルトン・セナ・ダ・シウバ様から語ろう。以下、敬称略!
セナはブラジル出身でF1で走る前はイギリスF3で走っていた。
この時のライバルは何の因果か、後にシューマッハのチームメイトになるマーティンブランドルだった。
ブランドルは速さではセナに遅れをとっていたが、安定間のある走りで12勝を挙げたセナとチャンピオン争いを
繰り広げた。
*なお、この年間12勝はヤン・マグヌッセンの14勝に抜かれるまでレコードだった。
だけどマグヌッセンはマクラーレンに乗ってもパッとしやがりませんでした。
セナは1984年に新規参戦したトールマンのシートを獲得していた。
しかし、本当は強豪コンストラクターのブラバムのシートに座っているはずだった。
それが叶わなかったのは、前年のチャンピオンであるネルソン・ピケがセナの加入を渋ったからだ。
セナは弱すぎるトールマン・ハートV8で予選落ちすら味わった。
それでもあの雨のモナコでは、ステファン・べロフとともに一世一代のパフォーマンスを見せ、他のグランプリでも何度か表彰台に登り、その後のF1人生を確約させたですよ。
~休憩~
セナのドライビングスタイルについて
まず、セナ足。小刻みなアクセルワークはコーナ中での姿勢作りに貢献しているようだ。
セナがホンダにいた頃、低速サーキットではシフトチェンジは引っ張って行うことはしていなかった。
どうやら、ホンダV10のおいしい部分を引き出していたみたいだ。
よく縁石に乗るし、よくカウンターを当てる。
92年のマンセルに一度だけ抜かれそうになったトンネル内ではスキッドコントロールして抑えこんだ。
雨の日には縁石を避けるのは当たり前で、状況によりラインをころころ変えるらしい(本人談)
Cコンパウンドを左に、右にDコンパウンドというように違うグリップ特性を使いわけるのが好きみたい。
ポールタイムじゃなく、自分の最高を出す激しさがファンにはたまらない。
初優勝は雨のポルトガルGP、1985年。
ぶっちぎりで、ミケーレ・アルボレートとの距離のコントロールを楽しんでいたようだった。
そして、へレスでのマンセルとの激萌えバトルの末、2勝目。
ここで、一旦シューマッハ様です。以下、敬称略!
シューマッハはドイチュランド生まれ。
ドイツF3チャンピオンを獲得した後、ミカ・ハッキネンとのレースになったマカオGPは彼の勝利だった。
このとき、シューマッハは執拗なブロックでハッキネンを退けたのは有名な話。
しかし、シューマッハは1989年にすでにマカオGPの第一レグで優勝を飾っており、当然と言えば当然だった。
*第二レグはトラブルでリタイア
また、シューマッハは1991年に一度だけ、日本で開かれたF3000,菅生GPに出場した。
このとき、シューマッハが駆ったのは標準モデルのローラに比べ劣性のラルトシャシー。
その車でシューマッハは予選4番手を獲得して決勝2位のプレステージを得た。
ちなみに、2位シューマッハを最後まで追い上げていたのは中谷明彦っち。
そして、この年のベルギーGPで彼はジョーダングランプリからデビューするのであった。
もし、ベルトラン・ガショーが逮捕されていなかったならばシューマッハはフットワークからデビュー
していたという。まさに来るべくして来たという感じか。
しかし、可愛そうなガショー。地元GPに出られないのはいやはやなんとも。
予選7位。こうなったらもう誰にも止められない。ベネトン移籍。
このシューマッハの速さ、移籍の速さはまさに、しゅーてぃんすたぁ☆の一言
92年に入って、ダッダッダッダダンの称号を得たしゅーてぃんすたぁ☆、あっと間違った。シューマッハは
デビュー1年後のベルギーで初優勝。
~休憩~
*シューマッハのドライビングテクニックについて
シューマッハはコーナーをえぐるようなドライビングをする。
クリッピングポイントに真っ直ぐにアプローチし、V字コーナリングするような。
それからシューマッハはピケと同じくシフトチェンジが速いことでも有名だ。
あっと言う間に行い、常にステアに手置いてますけど?みたいな感じだ。
左足ブレーキングをたびたび用いる。
2ペダル、TCS有でもセナ足をする。
実は、シューマッハはタイヤに優しいドライバーではない。
タイヤに一番優しいのはデーモン・ヒルらしい(1996年調べ)
ファステストを連続更新して他者へ与える絶望感がファンにはたまらない。
と、いうわけでつづきは2回目じゃけんのぉ~