カゼミチの不死鳥ブログ

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それは英国紳士の嗜みの様に…
DAYTONA675と言うサラブレッドと共に今日を疾る。

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去る2016年3月21日、オートレース発祥の地船橋オートが65年の歴史に幕を下ろしました…。
船橋オートと言えば自分にとってはとても思い出のある場所だったりして…初日と最終日に行ってきました(^_^)
このブログでも前に書きましたが、船橋オートと言えば、自分がオートレースを好きになったキッカケとなった故・片平巧選手の所属だった場所。片平選手以外にも数々のスター選手の所属する場所で、最強船橋軍団と呼ばれていましたね。
まず…
現代オートの礎を築いたミスターオート故・飯塚将光選手。そして『打倒・飯塚』が長年のスローガンだったと言う故・島田信広選手。
この二人のツートップに割って入った今だ現役岩田行雄選手。
そして、エンジンがスズキのセアに変わってからベールを脱いだ新時代の旗手、セアの申し子、故・片平巧選手。余りの強さにSG優勝戦で他7台の10m後ろから走らせらせるという超ハンデになりながらも7車抜きの優勝という偉業は他に例が無い。その後7車抜きが代名詞となる。
そこから現れた池田政和選手。
2004年の日本選手権にて高橋貢選手との死闘はあまりに有名。結果、最終周回で高橋選手に負けてしまうが、翌年川口のスーパースター王座決定戦でまたもや二人の世界から今度は池田政和選手が借りをきっちり返すこととなった。ここから夢のI・T対決と呼ばれるようになり、今でもこの二人が同じレースに乗ると凄く特別な雰囲気になりますね。
そして、その池田選手の弟分、永井大介選手が急成長。もう取れるもう取れると言われながら中々取れなかったSGをようやく戴冠!真のエースとなった。そして…永井選手の弟子である故・坂井
宏朱選手との別れ…。
そして、中村雅人選手、悲願のSG制覇を成し遂げた青山周平選手。そしてそして、史上最年少でG1制覇を果たした鈴木圭一郎選手。
パッと挙げただけでもこれ程の選手と数々の名勝負が繰り広げられ、オートレースを語る上で無くてはならない走路でありました。
そんな65年の夢物語の最後は…天国の弟子と一緒に走った地元の雄、永井大介選手の優勝で幕を降ろしました。2着青山選手とのマッチレースに昔のI・T対決や片平巧選手、坂井選手の事が重なり途中で涙が止まらなくなりました。
その後の表彰式では県知事や市長の挨拶でファンからブーイングの嵐でした(笑)
オートレースは公営ギャンブルの中でもマイナーな部類ですが…単純な賭け事と言うより、この様に男同士が色々な想いを背負いそのプライドに命を賭ける。そんな競技では無いでしょうか。
とにかく、個人的にも色々と思い出のある場所だったのでとても残念です。
数々の記録と記憶、ありがとう船橋オート❗️
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