前の会社を退職して一年。
思い出したくなくても時折甦ってくる、
悔しかった気持ちと戦い続けた一年でした。
内定が出たときはとても嬉しかったのです。
家から徒歩5分、週3日ほど5時間。
子どもが幼稚園や学校に行っている間の勤務は
当時の私にはとても魅力的な条件でした。
覚えるのにかなり時間のかかる仕事でしたが、
大変だったぶん達成感はありました。
でも職場の雰囲気には
はじめの段階から違和感がありました。
同じ時間帯の勤務で、
ほとんど話したことがないのにもかかわらず
敵意を剥き出しにしてくる人たちがいました。
とても嫌でしたが、
生活のためにも簡単に辞めるわけにはいかず
耐えて6年半勤めました。
何か気に入らないことがあると、
ものを乱暴に置いたり投げたり、
わざと皆の前で怒鳴り散らして騒いだり、
奇声をあげてキャビネットを蹴飛ばしたり。
60代後半の充分に大人なはずの女性たちが
私の前で幼稚な言動を繰り返してきました。
一対一でその場面に遭遇したときは、
ひたすら恐怖でしかありませんでした。
私にぶつけるだけでは足らなくなったのか、
この人たちは自分の更新面談のたびに
私に対する粗探し的な不平不満を
会社に言いつけるようになりました。
更新面談を担当していた人事の主任は
内容が全くの事実無根だったこともあって
私に何も問題はないとしていましたが、
何故か次第にこの人たちの肩を持つようになり
毎回私に非があるといわんばかりに
責め立ててくるようになりました。
執拗な嫌がらせに対しては
理不尽さだけでなく異常さも感じていたので、
本人たちへ直接行動を起こさないようにし
距離をとって関わらないようにしていました。
ただ火の粉を振り払っていただけです。
それを私が周りとうまくやっていけない、
協調性がないという言葉で片付けられ、
契約終了の理由の一つにされました。
そしてこの人事の主任は
ハラスメントの相談窓口も担当しているのに、
この人たちの発言の真偽や
仕事現場での様子を全く調べもしないで
高圧的な言葉を私に吐き続けました。
私が諦めて折れることを狙って
解決しようとしているのがわかりました。
ありえないと思いました。
この人たちは、
仕事ぶりではなく他人を押しのける強引さで
中心的な存在に成り上がりました。
同じ時間帯の大半の同僚は
私への嫌がらせを現場で見ているはずなのに
数々の虚言を信じたようで、
よそよそしい態度をとりはじめたり、
この人たちの振る舞いをやたら擁護したり、
同調して証拠の残らない嫌がらせをしたりと
私とは相反する態度を示しました。
ここでは何を話しても無駄だと悟りました。
一緒に寄り添って庇ってくれた同僚や
会社に掛け合ってくれた社員もいました。
けれども私と同様な嫌がらせを受けているのを
たびたび目撃するようになり、
大変つらく申し訳ない気持ちになりました。
身に覚えのない陰口を叩かれて広められて
一方的に悪く思われることは、
とても傷ついたし納得がいきませんでした。
私がこの人たちに対して
何か不躾なことをしたのかもしれないと、
毎日考え巡らしていた時期もありました。
でもそもそも私は無視されていたし
この人たちとの会話がほとんどなかったので、
後ろめたくなるようなことは
何一つしていないと確信しました。
そして今となっては、
この軽蔑に値するような醜い人たちが
私を最後まで認めなくて嫌ってくれて
本当に良かったと思えるようになりました。
仲間だとか同類だとみなされるほうが、
人間として屈辱的です。
あとは我慢をせずに
もっと早く逃げるべきでした。
仕事ぶりを認めてもらえたとしても、
自分と水が合わなくて
改善の余地すら期待できないのなら
いくら足掻いても先が見えているということを
学習しました。
自分の身に起こったこと、感じたことを
整理するのに一年かかりました。
平和で穏やかな今の生活を大切にして、
前に進んでいきたいです。