鰐淵マリカ Embrace a Great Diversity on the Planet!

鰐淵マリカ Embrace a Great Diversity on the Planet!

アフリカに恋焦がれ、蜃気楼のような夢を掴みとろうと、ひたすらに前へと突き進んでいった「アフリカ時代」が終焉を迎えた。多くの出会い、挫折、学び、悲しみ、喜びすべてを糧にして、マリカの第2ステージ(!?)がスタート。日々の気づき、出来事、綴っていきます。


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クリスマスイブの当日、友人と三浦アルプスと呼ばれる低山にハイキングへ出かけた。

今回はいつもに増して心が躍る。なぜならば、大昔に処分したと思っていた登山靴を先日押入れの奥地から発見したからである。おそらく8年近く押入れに眠らせていたものと思われる。母によると、この靴でかのキリマンジャロ登山(2001年2月)も行ったというから余計に縁起物に思え、イブの日の登山をこの懐かしい顔とともに登ることにした。

$鰐淵マリカ Embrace a Great Diversity on the Planet!-押入れから登山しゅーず
※押入れに万年眠っていた登山シューズ。


品川から京急で「新逗子駅」で下車、そこからバスに乗り、「風早橋バス停」で下車。

登り始めてから約15分で、本日の目玉である「仙元山」に到着。眼下に広がる広大な相模湾の眺めに目を奪われ、中年の夫婦数組とともに、茫然と立ち尽くす。はるか彼方には江の島やランドマークタワーも見える。

$鰐淵マリカ Embrace a Great Diversity on the Planet!-美しい眺望
※相模湾を見渡す美しい眺め

眺望を背に歩き始めてすぐに、事件は起こった。

何か左足に妙な違和感を感じて目をやると、目を疑う光景が飛び込んできた。

なんと、左の靴のかかと部分に亀裂が入っているではないか。
亀裂はソールの半ばくらいまで走っている。

やはり8年近く山行を怠った靴の筋肉は完全に死肉と化してしまったのだろうか。30分にも満たないトレッキングに耐えることもできなかったとは。トレッキングは始まったばかりだというのに、この先が思いやられる。

幸いにも同行していた友人が山に慣れており(父親は山と渓谷社勤務)、彼女が緊急用に持参していたスペアの靴ひもを、左の靴に縛り付け、現時点で半壊に近い状態の靴の崩壊をかろうじて抑えつけた。


$鰐淵マリカ Embrace a Great Diversity on the Planet!-左の脚に異変が
※友人のスペアの紐で応急処置を施す。

そしてまた出発。

道中、枝がだらりと横に伸びて、「登ってくださいよ」と言わんばかりの登り易そうな木が現れた。
周囲に登山客がいないことを確認すると我々はオソルオソル木に登った。幼少の時分を思い出してちょっぴり感傷的な気分に。同行した友人などは木の精になりきっている。
この木登りによって、脆弱な私の靴底がさらに傷つけられる危険性を全く顧みずに、木登りに没頭したのであった。

底のゆるんだソールを友人から借りた紐で固く「緊縛」して抑えるも、歩くとすぐに、ソール部分が前に突き出してしまう。(写真参照)。なんと前のめりなこと、私自身の生き方と重なり、苦々しい思いに駆られる。

$鰐淵マリカ Embrace a Great Diversity on the Planet!-リーゼント
※別の生き物(リーゼント?)と化した左足。

何度も立ち止まって、靴裏の位置を元に戻し、固く紐で縛りなおすものの、やはり、すぐさま、「前のめり」になるのであった。

そうこうするうちに、本日の2番目のハイライトである「乳頭山」に到着。

なんとも滑稽なネーミングに加え、頂上を示す目印の表示はいい加減(写真参考)な殴り書きで、粗末な扱いに同情を覚える。

$鰐淵マリカ Embrace a Great Diversity on the Planet!-乳頭山
※微妙な山頂表示。

乳頭山を過ぎたあたりであろうか、妙な違和感を感じて右足に目をやると、案の定、今度は右足のソールかかと部分に大胆な亀裂が走っている。

左足・右足ともに登山靴のソールは崩壊寸前、左足のソールはソール部分が靴本体よりも大幅に前方に突出しておりもはや別の生き物の姿に見える。

こんなふざけた足で歩いている自分の姿を他の登山客に見られるのはひどく恥ずかしいものである。

前方からやってくる登山客の目線が自分の足元にかからないか、すれ違う瞬間に居心地の悪さを覚える。

嗚呼、早く終わってほしい、三浦アルプスハイキング。あと幾何歩かねばならんのだ。

右足の亀裂はさらに深刻化し、靴底からはがれた部分が歩くたびに靴裏に打ちつけらて
パパーン、パパーンというおかしな音が鳴る。

靴を打ち鳴らしながら歩くこと小一時間、突然音がピタリと止まった。右足のソールが完全にちぎれた瞬間であった。

厚さ1センチほどの靴の厚みがなくなり、登山靴は一気に「シティーウォーク」仕様の靴に!

ほどなくして左足のソールもちぎれた。

$鰐淵マリカ Embrace a Great Diversity on the Planet!-ちぎれたみぎの靴
※音を打ち鳴らしていた右足の靴もついに靴底が完全にちぎれた。

そうこうして我々は集落にたどり着き、登山や終了した。

何年も放置したままの山道具は使ってはならないという教訓を得た。この登山靴の崩壊が三浦アルプスのようなハイキングレベルの山で起こったのが幸いであった。これが、本格的な山の登山中に起こっていたらと思うと恐ろしい。

この登山靴は残念ながら年をまたがず、昨年の暮れに「ポア」した。
同じく、押入れから発掘した渓流靴も、惜しみながら「ポア」した。

学び大きクリスマスイブ・トレッキングであった。

ホームレスという言葉がない時代、私は「乞食」に憧れていた。小学校1年生の時、パン屋の前で出会った乞食は、言葉では表現できぬ強烈な存在感で、私は、圧倒され、稲妻を打たれたと言っていいほどの感銘を受けた。以来、子供時代の私は、乞食に強い好奇心を持ち続けた。小学校の登下校の途中に、あの人を発見すると、それはもうワクワクしたものである。

この話を、今日、美人で女性性に溢れる友人にしたところ、いかにも乞食と縁のなさそうな彼女に乞食との接点があると知り、面白かった。彼女の勤務先の役員がホームレスと親交があり、ホームレスとの野外での会合に連れ出してくれたことが何度かあったそうだ。

私自身は、乞食という存在が気になって仕方なく、小学校5年生の時には、乞食の物語を脚本化し、班ごとに行った2学期末のお楽しみ会で、自らが主役を演じた。高校時代には、友人と授業をサボって公園で寝そべっていたところを、ホームレスに声をかけられて、コーラをご馳走になり、ダンボールに腰を下ろしてホームレス数人と談話したことがある。

彼女と話ながら、子供時代の無邪気さというのは、ずいぶん長い間しまいこんでいることを認識して、あの頃の自由な感覚をもう一度取り戻したいと思った。

彼女と別れ、地元の駅に降り立つと、最近見かけないのでもしや他界したのではと思っていたホームレスが目の前にいた。そのホームレスは、小学校時代に感銘を受けたあの人ではなく、大学時代に地元の駅前にあるスーパーでレジのアルバイトをしていたとき、いつも私のレジで買い物をしてくれたホームレスである。他のレジが空いている時も、わざわざ私が担当するレジに並んで、買い物をしてくれたホームレスの人。

見かけたのは1年ぶりくらいだろうか。健在でいるとわかり嬉しかった。何かいい兆しのような気がする。
ツイッターなるものを始めてみた。
ご存知の人も多いと思うが、今どうしているかについて、140文字でつぶやき(説明し)、つぶやきを仲間と共有し合うというもの。

mixiにもアカウントトップページに同様の機能がある。

鳩山首相、米国のオバマ大統領といった要人や、ソフトバンクの孫社長など企業のトップ、元モーニング娘の加護愛衣といった芸能人、勝間和代などの著名人、企業がツイッターアカウントをもっている。

企業が製品・サービスのPRや広報的に活用している事例が多々あるらしく、私は個人的な興味というよりも、仕事上の研究目的で始めてみた。
「今さら始めるの?」という感も否めないが・・・

去年の流行語の一つに「○○なう!」というのがあったが、これは「今○○にいる」「今○○をしている」という意味で、ツイッター独特の表現らしい。

私の父は、この表現が気に入っているらしく、携帯メールで「新宿なう」などと送ってくることがある。

「なう」を使った造語も生まれており、例えば、グリコ乳業のデザート飲料「ドロリッチ 」を飲む行為を、「ドロリッチなう」という表現でもって、ツイッター上でつぶやくことが流行った。これが、ドロリッチの販売数の増加につながったかどうかはわからんが、同製品の話題性を高めたことは確かである。

本日にアカウントを設けたばかりで、まだ手探りの状態である。知っているのは「なう」だけ。

今後、ツイッター上でどんな「なう」をツイート(ツイッター独特の用語でつぶやくの意)してみたいか妄想してみる。

「熱川バナナワニ園なう」→この前行ったばかりやんけ
「UFOなう」→だめ、怖すぎる
「デート@場所名なう」→今年はここにエネルギーを注ぎたい
「キリマンジャロ ウフルピークなう」→今度こそ登頂したい
「寝袋なう」→路上生活始めましたという意味ではない。今年は万年眠ったままのきゃんぷ道具を活用してキャンプしたい!参加者募集中!

ということで、これを読まれた方でツイッターアカウントをお持ちの方、ぜひ教えてください。

ある予備校が開いた、資格試験の合格を祝う会場での出来事。
予備校の生徒であった大勢の人たちが、合格の喜びをかみしめながら、楽しそうに歓談していた。


宴もたけなわになり、ジュエリーやビール券の抽選会が行われた。
予備校の経営者の男性が舞台にあがり、彼とジャンケンをして勝ち残った人が、景品をもらえるらしかった。


200人ほどいた参加者の中から、勝ち残った10人ほどの人が舞台に上がった。

挑戦者は次々と敗退し、2つしかなかった高級ジュエリーのひとつが、1人の女性に手渡された。


ジュエリーに手の届かなかった人たちが、いかにも残念がっている様子が見てとれた。
だのに、その女性は、思いがけない景品をもらえるというのに、壇上で小さく縮こまり、

とても悲しそうな表情を浮かべてすまなさそうにしていた。
予備校の代表の男性が何かをささやくと、彼女は何度も首を横にふったあとに、
何かを決意したようにマイクを持って話始めた。


女性は予備校の生徒ではなかった。彼女のご主人が、予備校で学んでいたという。

なんと、その女性のご主人は、病と闘いながら資格試験の勉強をして、

2次試験の受験のときには、奥さんが受験会場まで付き添い、なんとか受験したのだという。


合格発表は1月の末。彼は合格をほぼ確信しているらしかった。
ところが、彼は合格発表を待たずして12月のある日に、とうとう他界してしまったという。
1月末の合格発表で、彼女は、彼が合格したことを知った。
この合格を祝うパーティーには、ご主人の代理で参加したそうだ。

想像できないほどの喪失感でいっぱいになりながら、夫の代理として

合格祝賀会に参加した女性は、ジャンケンで勝ってやろうなどとは微塵も

思っていなかったと思うが、じゃんけんに勝ち抜けて、素敵なプレゼントを得ることができた。


そして、スピーチの機会を得て事を話してくれたので、その場にいた誰もが、

病魔と闘いながら合格を勝ち取り、合格前に旅立って行った一人の男性のことを知ることができた。

彼女の話を聞いた何人かの人たちは、彼女のもとへ行き、何か応援のメッセージや

励まし言葉をかけているようであった。もしかしたら、自分の悲しさを知ってくれた人たちを前に、

彼女は、少し心がホッとすることができたかもしれない。


この女性に景品が当たって良かった・・・その場にいた誰しもが思ったのだろう、会場には
安堵の優しい空気が漂っているような気がした。

悲しみにうちひしがれていた彼女への贈り物・・・

不思議なことってあるものだ。


神様っているかもしれない・・・

私は別に特定の宗教を信仰しているわけでもない、典型的な日本人であるが、
この不思議な偶然に、見えない存在の片鱗を感じたような気がした。

そして自分の心が少し救われたように感じるのであった。

実は密かに16日に帰国した。


帰国して最初に感動したのは、穴ぼこひとつない道路とその上を滑るように走る快適な車の走行。

首都ナイロビといえども、道路は穴ぼこだらけで、乗り心地は悪い。

とりわけ小生は腰痛の持病があるため、車の揺れはあまり望ましいものではない。

特に乗り合いバスのマタトゥの走行は最悪!時々、扉が開閉しなくなるような日本のオンボロ中古車がほとんどであるため、揺れはいっそう激しくなる・・・


東京の女の子のおしゃれな格好もこりゃまた新鮮!

ずれ落ちがちな眼鏡、伸び放題の髪の毛、薄汚れた帽子とジャケット姿の小生、空港からの帰途が酷く辛く感じられた・・・

というのは大げさであるが、ナイロビ時代の格好で東京の表参道など歩けたものではない。


日本食マンセー!(北朝鮮風に)

帰国して最初に口にしたのは、りんご、納豆とおにぎり。口の中に広がるりんごの甘酸っぱい味、糸ひきまくりの納豆、母のおにぎりの味にこの上ない幸せを覚えた。とはいえ、人間とは実に勝手で矛盾した生き物で、早くもナイロビの新鮮なトロピカルフルーツの味が恋しくなってきた。格安の野菜どもの味も恋しい・・・




サファリ。スワヒリ語で「Safari」は旅を意味することをご存知だろうか。スワヒリ人は旅人に向かって「Safari njema.(サファリ・ンジェマ、良い旅を、の意味)」と別れ際に声をかける。小生もナマンガ国境で詐欺に遭いながらも何とか隣国タンザニアに到着し、野生動物を見る旅に出ようとしている。今回訪問したのは、マニャラ湖と世界遺産に指定されているンゴロンゴロ自然保護区、マニャラ湖国立公園の端で地域住民の生活が許可されている地域。

同乗者は、40代初頭の日本人のIさん、話し方が女々しい感じの28歳のイタリア人男性、気の強い22歳のイスラエル人女性であった。案内人は、マサイ族とキクユ族の両親を持つ「忍者はっとりくん」に登場するシシマルみたいな顔をしたガイド24歳と、横顔がタンザニア初代大統領・ニエレレ先生にそっくりのチャガ族のドライバー(年齢不明)。

1日目:マニャラ湖国立公園

確認できた動物

Great White Pelican (日本語名:モモイロペリカン)

Ostrich(ダチョウ)

Egret(サギ、種を特定できず)

Saddle-billed stork(クラハシコウ)

Yellow-billed stork(アフリカトキコウ)

African spoonbill(アフリカヘラサギ)

Grey-headed kingfisher(ハイガシラショウビン)

Southern ground hornbill(ミナミジサイチョウ)

Silvery-cheeked hornbill(ギンガオサイチョウ)

Dwarf mongoose

Velvet Monkey

Yellow Baboon

Worthog(イボイノシシ)

Hippo

Zebra

Masaai giraffe(マサイキリン)

Buffalo

kaori_with_twiga

写真:呆然と立ち尽くすキリンと筆者

2日目:ンゴロンゴロ自然保護区

Grey crowned crane(ホオジロカンムリヅル)

Greater Flamingo(大フラミンゴ)

Lesser Flamingo(コフラミンゴ)

Zebra

Wildbeest(ヌー)

Vulture (ハゲワシ、種を特定できず)

Spotted Hyena(ブチハイエナ)

Hippo

Sacred Ibis(クロトキ)

Yellow-billed Stork(アフリカトキコウ)

Buffalo

Black crake(アフリカクロクイナ)

Black rhino(クロサイ)

Ground gazelle

Kori bustard(アフリカオオノガン)

Elephant

Lion

Thomson gazelle

lion too get used to contacts with humans2 lion too get used to contacts with humans1

写真:サファリカーに群がるライオン。中に人間でも入っているのではと疑いたくなるほど、人間慣れしている様子。車の日陰を好んで集まってくるらしい。

kaori_with_lion.jpg

オスライオンと筆者

elepahnt

林の中で黙々と食事するオスゾウ

ngorogoro crater

ンゴロンゴロ・クレーター遠望

3日目:マニャラ湖の端をウォーキングサファリ

Zebra

Giraffe

Buffalo

Marabou Stork(アフリカハゲコウ)

Starling(ムクドリ科の鳥。種は特定できず)

鳥類に関しては図鑑があるため日本語の学名が判明した。特に興味深かったのは、Southern ground hornbill(ミナミジサイチョウ)。鳥類のクセに徒歩で周囲を散策する姿を何度か見かけた。一度、一歩一歩足を踏み出してこちらに歩み寄ってくる集団に遭遇。非常に滑稽な光景であった。なぜか高校時代の英語の先生・桐生先生を思い出す。似ている。

お気づきの方もいるように、今回の訪問地ではいずれもワニは生息していない。この時期にナイルワニを見るならば、マサイマラ国立公園のマラ川が最適と聞く。年に一度発生するヌーの大移動に吸い寄せられるようにマラ川に集結するナイルワニを見ることができるからだ。タンザニア側のセレンゲティ国立公園からケニア側のマサイマラ国立公園へ豊富な食糧を求めて移動するヌーの大群100万頭あまりが、渡らなければならない難所がマラ川である。そこには、川渡りするヌーをご馳走にする大量のナイルワニ。ワニは、子供など、か弱そうな個体に狙いを定める。猛獣の刃にかかっても、なんとか脱出せんともがく幼いヌーの子供!そうはいかんざきとばかりに踏ん張るワニ!見たいですのう…

3日目のウォーキングサファリでは、マニャラ湖国立公園の周縁部を徒歩で訪れた。この地域は人間と野生動物の生活が重なる地域である。地域住民は、マニャラ湖で漁猟をすることが許され、テラピア、キャットフィッシュを捕って生計を立てている。徒歩中も、自転車で漁に出かける現地人に多数すれ違った。自転車は草を食べているシマウマの一団の脇を颯爽と通っていく。足元に目を落とすと、ゾウやレイヨウ類の糞。人間と動物の活動が重なる地域では、当然、事故が発生する。ガイドによれば、数ヶ月前にバッファローが住民の農地を荒らしたとのこと。地域住民にとって、農地を荒らす野生動物は、生活の脅威となり、厄介者以外の何でもあるまい。ときに、地域住民が農地を荒らすゾウを殺害するケースがケニアではあると聞く。(野生のゾウに踏みつけられるなどして毎年死亡者が出ていることも付け加えておく。)それを外からやって来た先進国の白人のムズングどもが「種の保存」を理由に、野生動物を追い払う目的で危害を加える住民の行為を糾弾する。自然保護の矛盾を思う。

Kaori with crocs behind her back.jpg

今回はワニに会えませんでしたが・・・

初めてアフリカの地を踏んだのは、大学卒業前の22歳のときであった。タンザニアの商業都市ダルエスサラームの郊外にあるタンザニア人家庭のお宅にホームステイし、ダルエスから各地に一人で旅行した。キリマンジャロ登山に参加するため、アルーシャにも滞在した。5年前のことである。

ナイロビから陸路でナマンガの国境を越えて、アルーシャへ。「魑魅魍魎が跋扈する(ちみもうりょうがばっこする)」という表現はまさにナマンガのこと。バスを降りてケニア側にあるイミグレで出国手続きをし、タンザニアの国境まで歩いて渡る。ケニアとタンザニアの間にある数十メートルのグレーゾーン(どちらの国土に属するのだろうか?)は、怪しい輩が多数徘徊。数日前に日本人旅行者が現金を奪われたことを知っていながら、小生も被害に遭ってしまった。両国の国境の間を歩いていると、小生が乗っていたバスの職員と名乗る若者が小生に話しかけてきた。彼らが両替詐欺を行おうとしていることに気づき、慌てて相手に渡したUSドルを取り返してその場を立ち去った。ところが奪い返した50ドルのうち、20ドル紙幣1枚を取り返していないことに気づいた。後の祭りである。腹の虫が収まらなかった小生は負け犬の遠吠えよろしく「Go To Hell!」と遠くからののしるほかなかった。無念。

アルーシャの様子は5年前から様変わりした様子はあまり感じられなかった。偶然にも、今回滞在したゲストハウスは、前回も利用したメルー・イン・ゲストハウスであった。小生より1日早く到着していたIさんと受付で会い、Iさんや知り合った日本人旅行者と立ち話しをしていると、「かおりちゃんじゃない!」と弾んだ女性の声。誰かと思えば、4年前にスワヒリ語教室で一緒だったHさんであった。階下からワニカワと思しき妙に聞き慣れた声が聞こえてきたので、まさかと思ったら本当に小生であったとのこと。こちらとしては、しばらく会っていない知人から声だけで認識されたという事実に驚いた。相当に独特な声音をしているのであろうか。Hさんは、中古車輸入販売会社をアルーシャで説立して間もない日本人社長の下で働くべく、単身タンザニアにやって来たという逞しい女性。

Iさん、Hさん、日本人旅行者(獣医学生さん2名)とHさんの友人であるタンザニア人のKさんと一緒に近くの安食堂に繰り出す。なんと驚いたことに、タンザニア人のKさんとも共通の知り合い(タンザニア人)がいることが発覚した。

Kさんは、AOTSという日本政府の外郭団体が行っている途上国の技術者を対象にした技術研修制度を利用して、10数年前に来日し1年ほど滞在したとのこと。この制度は、技術者を日本に派遣し、企業内での技術研修を数年間行うことで、途上国の技術発展に協力するというもの。研修は日本語で行われる。Kさんと小生の共通の知り合いもAOTSによってタンザニアから日本に来日した。

Kさん曰く、タンザニアにおいてAOTSは日本に長期滞在するための手段として利用されることがあり、研修終了後に姿をくらます同胞がかなりの割合で存在するとのこと。Kさん自身は、真面目なご性格のためか、研修終了後はすみやかに帰国し、現在はエンジニアとして活躍している。41男の父親である。そもそも、この技術協力制度は、研修を受けた研修生が本国に技術を持ち帰り、自国の技術的発展の中枢を担ってもらうことを目的にしている。だのに、帰国することなくオーバーステイする為の隠れ蓑に利用されては、我々日本国民の血税が無駄使いされているわけで、腹立たしい。

地球の裏側で知人に再会するとは。我々が想像する以上に、世界は狭い。一同目を丸くしたのであった。

ケニア、タンザニアでは、アジア人を含む白人のことをスワヒリ語で「ムズング(Mzungu、複数形はWazungu)」と呼ぶ。インド人は、人口数が多く、ケニア経済界でプレゼンスが高いためか、彼らを指すスワヒリ語単語がある。彼らは、ムヒンディ(Mhindi、複数形はWahindi)と呼ばれている。ムズングというと、自分達と区別する意味での「よそ者」という響きがあり、どこか皮肉や蔑視の感がこめられている気がする。

一般にムズングは金持ちと思われている。たとえボランティア目的で滞在中の貧しいムズング苦学生だとしても、ムズングならば金持ちと思われる。収入の有無にかかわらず、ムズングは金持ちと現地の人には認識されている。こちらがいくら無職の貧乏旅行者であることを説明しても理解してもらえることは少ない。

ムズングは金があるので、値段をふっかけるのは当たり前。マーケットで、値段を尋ねると、現地の適正価格より数倍高い値段を提示される。(そこからいかに値切るかが肝心だが。)また、聞いた話しでは、マタトゥのコンダクターも、スワヒリ語を解せなさそうなムズング乗客には、ケニア人の乗客よりも高い運賃を払わせようとするとか。せいぜい運賃の差は10ケニアシル程度。ほんの少しでもムズングからむしり取ろうとする彼らのセコイ根性には閉口する。レストランでもムズングはカモにされることがある。ウェイターが会計の際、実際の料金よりも高い額をわざと記載して請求書をテーブル運ぶ。特にムズングが酔払っているときなどは、大して金額を確認することなく、記載された額をそのまま支払う。ウェイターは金を受け取り、レジに持っていく前に、請求書を元の値段に書き換え、差額分を自分の懐にしまう…なんてことも油断すると起こることがあるとか。

豊かな国からやってきたムズングに対するケニア人の羨望のまなざしを時に痛いほど感じることがある。数回通ったスワヒリ語教室での出来事。(数軒先がイスラエル大使館なのであまり落ち着かない。)先生はケニア人。生徒はウガンダ出身の宗教学を学ぶ学生(将来はカソリック教会の司祭になるとか。司祭として一生涯独身で通さなければならないが、美しい女性を見るとムラムラする自分を抑えられないとこぼす悩み多き青年。)と小生であった。授業の途中で先生が出す例文に、ムズングに対する羨望の感がこめられているように感じた。

彼は私のために私の所持金すべてを数えた。

Amenihesabia pesa zangu zote. 読み:アメニヘサビア ペサ ザング ゾテ。

この服は高くて買えない。

Nguo hii hainunuliki. 読み:ングオ ヒイイ ハイヌヌリキ。

先生が例文を読み上げる。その視線は小生に向けられ、その瞳の奥には羨望のまなざしがギラギラと煌いていているように見えた。2番目の例文では、「世の中には我々が手に入れることができないものがたくさんある。例えば洋服が高くて買えない場合は…」という補足説明を先生が加えた後に読み上げられた。おたくの所持金は多いでしょうなぁ。おたくは我々よりも多くのものをいとも簡単に手に入れられるのでしょうなぁ。あえて口にすることはないが、そんな思惑がうっすらと滲み出た表情でこちらに顔を向けながら、例文を読む先生。小生は思わず先生から目線をそらしノートを見ながら、例文を繰り返すのだった。

小生にとってもナイロビ生活は決して楽ではない。好物のヨーグルトは、500mlのパックが60シル程度(100円)。250mgのチーズが200シル程度(320円)。一番安くてあまり美味しくない食パンが25シル程度(40円)。ある程度のレストランで食事すると300シル以上(500円程度)。日本食レストランならば500シル以上(800円)。町に行くタクシー代は片道400シル(640円程度)。安全性が確保されたアパート(2LDK)の月の賃貸料は25,000シル程度から(4万円)。唯一救いなのは野菜が安いこと。マーケットではトマトは一山10シル(16円)。ほうれん草の巨大な束は110シル(16円)。ジャガイモが1kgあたり15シル(25円)で安売りされているのを見たことがある。細い人参7,8本が13シル(20円)。果物は、バナナ19シル(14円)、マンゴー120シル(32円)、小型リンゴ125シル(40円)、パイナップル丸ごと1個が90シル(145円)。日本の水準から比べれば安いが、格安ではない。収入があればまだ別だが、無収入の人間は、どんどん手持ちの金が目減りしていく。

Mimi sijaajiriwa hapa Kenya, mfanyakazi wa kujitolea tu. Kwa hivyo sinamshara. Usifirkirie wazunzu wowote wanapesa nyningi. Si ukweli. Je unisaidie?

あたしゃねぇ、ケニアでは仕事してないボランティアなのよ。だから給料もないの。白人は誰でも金持ちとは思わないでね。それは正しくないよ。で、私のこと助けてくれる?

先進国出身者と途上国ケニアの一般国民との富の差は歴然とあり、それは揺ぎ無い事実である。たとえ小生のような無収入のボランティア滞在者であっても、小生と彼らとの間には大きな富の格差が立ちはだかっている。いくらスワヒリ語で自分の貧しい立場を主張しても、ムズングのたわごとはむなしく響くだけであろう。ケニアではいつもそんなジレンマに陥る。


モンバサからマタトゥで2時間半程度のマリンディの町内をぶらぶら歩いていると、日本人らしき人を見かけたので声をかけた。すると、ギリヤマ族というケニアの少数民族の住む村で太鼓の修行をしているとのこと。運が良ければ、伝統的な太鼓演奏とダンスを見ることができるかもしれないとのこと。この男性Mさんの薦めもあり、ギリヤマ族がいる村を訪問することにした。マリンディから車20~30分のところに、ギリヤマ族の太鼓演奏集団は住んでいた。小生の訪問時は白人の観光客が訪問中で、観光客向けのショーが行われている最中であった。腹に響く重低音の太鼓に合わせて、男女による力強いダンスが繰り広げられている。なかなかのものである。ところがMさんに言わせれば、観光客向けにアレンジされたパフォーマンスで、彼らはかなり手を抜いているとのこと。伝統的な太鼓の演奏の時は、もちろん真剣に行うので、かなりの迫力とのこと。このギリヤマ族の一団は、Mzee Randu(ムゼー・ランドゥ)という80歳を超えた長老を頂点にした大家族。(Mzeeとはスワヒリ語で長老の意味)彼には複数名の奥方がおり、子供の数は半端ない模様。マリンディ辺りを歩いていると、Mzee Randuの息子・娘に会うことがあるとMさん。訪問時は何人かの奥方がいらした。彼らの子供についても、誰が誰の子供であるか説明されたが、複雑だったのですぐに家族関係は忘れてしまった。敷地内には、尻丸出しでよだれを垂らした乳幼児がゴロゴロ転がっており、泥だらけになりながら遊んでいる。

ママ達がヘラを荒々しく振り回して食事の準備をする間、Mzee Randuの息子達と車座になり食事を待つ。「ウチ」と呼ばれる椰子酒がふるまわれた。透明のガラス瓶に入った乳白色の液体が「ウチ」と竹の筒を切ってこしらえたような小さな容器を誰かが持ってきた。竹製の容器には、同じく竹製のストローがついている。男性の一人がウチを容器に満タンに盛ると、斜めに傾けて少量を地面に垂らした。これはご先祖様へのお供えだという。最初の一杯目のみ、全員が「ウチ」が回ってくると、自分の口に運ぶ前に同じ動作を繰り返した。おそるおそる口にすると、発酵したジュースのような味だが、精錬されていない感じ。酒のことはよくわからん。Mさんに曰く、この一家の男達が天然の椰子酒を採取し、女が市場で売り現金に換えているという。この酒を飲んだ日本人は翌日下痢する者が多いとか。

皆で世間話しをしていると、入り口の方から、老齢の男性が颯爽と現れた。マサイ族の伝統衣装に似た赤と青のギンガムチェックの上着、白いズボン、そして頭にはキャップ帽をかぶっている。うわさのMzee Randuのご登場である。Mさんにせかされ、挨拶に伺う。ケニアではあまり使わない(タンザニアではよく耳にする)目上の人に対する挨拶表現「Shikamoo(シカモー)」を使い、敬意を表す。すると「Marahaba(マラハバ)」と長老からの返答。Mさんが私のことをスワヒリ語でひとしきり説明する。

Mzee Randuが車座に加わろうとすると、一人の男がすみやかに席をゆずった。

Mzee Randuに椰子酒を出す。すると彼は慣例通り、幾らかを地面に垂らすと、やおら何やらつぶやき始めた。先祖への祈りでもしているのだろう。ボーっと聞いていると、Mさんが言った。「今のわかった?すごい良いことを言われたんだよ。かおりちゃんがMzee Randuの娘で、無事に旅できるようにご先祖様にお祈りしてくれたのだよ。」な、なんと。どうやらMzee Randuは小生を娘にしてくれたらしい。君は我々家族の一員である。Mzee Randuは君のお父さんだと思いなさい。ケニアに来たときは、ここが自分の家だと思っていつでも訪ねてくるように、とMzee Randu。そしてご丁寧にもギリヤマ語の名前まで頂戴してしまった。その名も「Kadi Randu(カディ・ランドゥ)」である。横にいた少年達が「カディ、カディ」と嬉しそうに話しかけてくる。

昼食は山盛りに盛られたウガリ(東アフリカの主食)と塩漬けされた魚。ごちそうだ。

今晩はここに泊まったらとの長老の温かい言葉に、後ろ髪を引かれる思いでMzee Randuのお宅を後にした。初めての訪問者にいきなり名前を授けるのは非常に珍しいとMさん。近隣の町・マリンディではMzee Randuの名前はよく知られており、何かトラブルに巻き込まれそうになったら「私はMzee Randuの娘である」と言えば相手も無用な手出しはしないとのこと。(ちょっと大げさな気もするが…)水戸黄門様の印籠を手に入れたというか、なんだか強力な後ろ盾を得た気分になり、その後の一人旅の不安(心配性なので)が幾分薄らいだ。

mzee randu


写真:椰子酒「ウチ」を飲みながらポーズを決めたMzee RanduKadi Randu

明日よりケニアの隣国タンザニアへ行く予定である。目的はサファリ。K先生宅に訪問してきたIさんが、ンゴロンゴロ国立公園のサファリに行かれるそうなので、便乗させていただくことにした。おおう。かの地に足を踏み入れるのは実に5年ぶりである。タンザニア。どのような変貌をとげているのであろうか?ンゴロンゴロ国立公園は草原地帯のはずで、いわゆる小生が好むワニの生息する環境ではないが。巨大なクレーターやクレーター内に暮らす野獣どもとの遭遇が楽しみである。