今回はいつもに増して心が躍る。なぜならば、大昔に処分したと思っていた登山靴を先日押入れの奥地から発見したからである。おそらく8年近く押入れに眠らせていたものと思われる。母によると、この靴でかのキリマンジャロ登山(2001年2月)も行ったというから余計に縁起物に思え、イブの日の登山をこの懐かしい顔とともに登ることにした。

※押入れに万年眠っていた登山シューズ。
品川から京急で「新逗子駅」で下車、そこからバスに乗り、「風早橋バス停」で下車。
登り始めてから約15分で、本日の目玉である「仙元山」に到着。眼下に広がる広大な相模湾の眺めに目を奪われ、中年の夫婦数組とともに、茫然と立ち尽くす。はるか彼方には江の島やランドマークタワーも見える。

※相模湾を見渡す美しい眺め
眺望を背に歩き始めてすぐに、事件は起こった。
何か左足に妙な違和感を感じて目をやると、目を疑う光景が飛び込んできた。
なんと、左の靴のかかと部分に亀裂が入っているではないか。
亀裂はソールの半ばくらいまで走っている。
やはり8年近く山行を怠った靴の筋肉は完全に死肉と化してしまったのだろうか。30分にも満たないトレッキングに耐えることもできなかったとは。トレッキングは始まったばかりだというのに、この先が思いやられる。
幸いにも同行していた友人が山に慣れており(父親は山と渓谷社勤務)、彼女が緊急用に持参していたスペアの靴ひもを、左の靴に縛り付け、現時点で半壊に近い状態の靴の崩壊をかろうじて抑えつけた。

※友人のスペアの紐で応急処置を施す。
そしてまた出発。
道中、枝がだらりと横に伸びて、「登ってくださいよ」と言わんばかりの登り易そうな木が現れた。
周囲に登山客がいないことを確認すると我々はオソルオソル木に登った。幼少の時分を思い出してちょっぴり感傷的な気分に。同行した友人などは木の精になりきっている。
この木登りによって、脆弱な私の靴底がさらに傷つけられる危険性を全く顧みずに、木登りに没頭したのであった。
底のゆるんだソールを友人から借りた紐で固く「緊縛」して抑えるも、歩くとすぐに、ソール部分が前に突き出してしまう。(写真参照)。なんと前のめりなこと、私自身の生き方と重なり、苦々しい思いに駆られる。

※別の生き物(リーゼント?)と化した左足。
何度も立ち止まって、靴裏の位置を元に戻し、固く紐で縛りなおすものの、やはり、すぐさま、「前のめり」になるのであった。
そうこうするうちに、本日の2番目のハイライトである「乳頭山」に到着。
なんとも滑稽なネーミングに加え、頂上を示す目印の表示はいい加減(写真参考)な殴り書きで、粗末な扱いに同情を覚える。

※微妙な山頂表示。
乳頭山を過ぎたあたりであろうか、妙な違和感を感じて右足に目をやると、案の定、今度は右足のソールかかと部分に大胆な亀裂が走っている。
左足・右足ともに登山靴のソールは崩壊寸前、左足のソールはソール部分が靴本体よりも大幅に前方に突出しておりもはや別の生き物の姿に見える。
こんなふざけた足で歩いている自分の姿を他の登山客に見られるのはひどく恥ずかしいものである。
前方からやってくる登山客の目線が自分の足元にかからないか、すれ違う瞬間に居心地の悪さを覚える。
嗚呼、早く終わってほしい、三浦アルプスハイキング。あと幾何歩かねばならんのだ。
右足の亀裂はさらに深刻化し、靴底からはがれた部分が歩くたびに靴裏に打ちつけらて
パパーン、パパーンというおかしな音が鳴る。
靴を打ち鳴らしながら歩くこと小一時間、突然音がピタリと止まった。右足のソールが完全にちぎれた瞬間であった。
厚さ1センチほどの靴の厚みがなくなり、登山靴は一気に「シティーウォーク」仕様の靴に!
ほどなくして左足のソールもちぎれた。

※音を打ち鳴らしていた右足の靴もついに靴底が完全にちぎれた。
そうこうして我々は集落にたどり着き、登山や終了した。
何年も放置したままの山道具は使ってはならないという教訓を得た。この登山靴の崩壊が三浦アルプスのようなハイキングレベルの山で起こったのが幸いであった。これが、本格的な山の登山中に起こっていたらと思うと恐ろしい。
この登山靴は残念ながら年をまたがず、昨年の暮れに「ポア」した。
同じく、押入れから発掘した渓流靴も、惜しみながら「ポア」した。
学び大きクリスマスイブ・トレッキングであった。








