2022年2月9日、水曜日。
2020年2月の真ん中ぐらいから暗い時代の始まり。その日曜日でした。カーニバルのショーが始まっていました。その次の火曜日にみんなが見たからなかったグランショーのはずでしたが、Covidの患者さんがあちらこちらに増えてきて、どこの町でも中止になりました。出る時にみんなマスクをつけるようになりました。マスクを付けていない人は、高い罰金払う事になりました。3月7日に試験が受けられるかどうかとても不安でした。上手いことに受ける事が出来ました。特別に試験が受けられる人は私以外にあと2人がいました。
その次の日、日曜日、長いlock downが始まりました。バス、電車など動かなくなりました。住んでいる町から出られませんでした。自分で書く証明書にどこの町、どの道、どんな理由で出る必要を書くべきでした。証明書ない人が罰金。動けるのは自分の町の中だけ。それも買い物だけ。買い物を家庭に1人。店に入るのに、順番待ち:1人が出たら1人が入る。店の前、警備員が立っていました。マーケットもなくなりました。教会⛪️にも行けませんでした。日曜日になると、大きな教会の神父さんは、教会の外で大きなアンプを使ってミサを行っていました。その中で、私は3月15日に日本に帰る予定でしたが、3日前位に飛行機会社から飛行機の出発は中止になったと言う電話がありました。次の予定は4月の最後の日曜日にしました。が、今度は外国人が日本に入らない事になって、又出発は中止になりました。そこから6月の真ん中までいくら飛行機会社に電話をかけてみても、誰も出ませんでした。毎日のように電話を掛けて見たのです。やっとかかった時にいろいろ説明を聞きました。日本に入れるかどうか、3回ぐらい日本大使館に電話。東京のイタリア大使館にメール。そして、7月2日にやっと出発できました。
飛行機の中、ガラガラでした。
妙に静かでした。やっと日本にやっと着いたと思ったら、又大変。夕方の5時に着いたと言うのに、飛行場から出られたのは夜の11時過ぎでした。飛行機から先に日本籍の方でした。2時間以上たってからやっと外国籍の人達も出られました。その次、セーラーマンが降りる事になっていました。みんな、長い行列で、保健所みたいなところに連れて行かれて、離れた椅子でさわされ、何かの残飯待ち。
やっと自分の番。小さな部屋で女性医者がいて、鼻に何かが入れられました。それはcovidがあるかどうかのPCR検査でした。そこからやっとパスポートの確認、誰かがお迎えに来ているかどうの確認…
娘夫婦が車でお迎えに来ていました。長く待たせてしまったの申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そこから2週間の検疫の始まりでした。PCR検査をして2日後にメールで結果のお知らせ:陰性。そのあと、毎日のように身体の調子はどうですかの確認の電話。結局、住んでいた家のところに、日本についてから役1ヶ月経ちました。それも、夜中に帰られました。なぜなら、私は外国人だったからです。シャツケースを持って家に帰ると見られたら、子供達に迷惑をかける事になるからだったそうです。不安な気持ちでいっぱいでした。帰らない方がよかったかもしれないと思った事が何回がありました。私のせいで子供達が変な目で見られるのは嫌だったからです。