自分の子ども時代や親について振り返るときに、「自分の問題を親のせいにするのは、何だか嫌だな」と思う人もいるでしょう。
私のクライエントの中にも、親を批判的な目で見なければならないという気持ちと、親への忠誠心に背きたくないという気持ちの間で揺れ動く人がいます。
そのような人は自分の親に対して愛情と感謝をたくさん感じているのでしょう。
それゆえに、親の良くなかったと思われる点について聞かされると、「そんなことを説明するのは親を裏切っているようで、親に申し訳ない」と思ってしまうのです。
でも、ここで私は強調しておきたいと思います。
私たちが取り組んでいくことは、親が子どものためにしてくれたことを否定したり、大人になってからの自分の問題を親のせいにしたりすることではありません。
重要なのは、家庭環境からどのようなことが心に刷り込まれたのかを深く理解することだけなのです。
その際、ネガティブな刷り込みだけでなく、親に感謝すべきポジティブな刷り込みも見ていきます。
私たちの親もまた、その親による刷り込みを受けており、結局はその教育の被害者なのです。このことを忘れないようにしましょう。
私たちは、自分の親は自分にどのような手本を示したのか、ということを自問していくことも大切です。
例えば、ある少女の母親はとても心優しいけれども気が弱く、威圧的な夫にいつも合わせて行動していたとします。
すると、この少女は自分の母親と自分をいつも同一化し、「女性は弱い」「私は他人に合わせなければいけない」「私は口答えしてはいけない」といった信念を固めていく可能性があります。
そうでなければ逆に、母親のようになりたくないと思い、「私は自分で自分の身を守らなければいけない」「私は絶対に言いなりになってはいけない」「男性は危険だ」といったような信念を持つようになります。
さらに、家庭内ですでに決められている規律や価値観も、子どもの信念の形成に重要な役割を果たします。
例えば、愛情に満ち溢れた温かい家庭であっても、性に関する基準がとても厳しい家庭であれば、そこで育った子どもはその厳しい規律を刷り込まれ、後に自分の身体や性欲に対して自然な感情や行動を起こすことがなかなかできなくなってしまします。
つまり、親に多くのことを感謝している人であっても、現在抱えている問題の原因となる何らかの信念を親のもとで固めていたといえるのです。
一方、親の本当の姿をなかなかつかめない人もいます。
そのような人は、片方の親のことをもう片方の親の色眼鏡を通して見ている可能性があります。
母親がしょっちゅう子どもの前で父親のことを「ひどい人だ」と言って泣き叫んでいたら、その子どもはこうした母親の眼鏡を通して父親のことを見るようになるでしょう。
私は長年、心理カウンセラー、精神分析を生業にしてきましたしたので、実際にこのような刷り込みが後の人生に大きな影響を及ぼしているケースを数多く見てきました。
その刷り込みを受けた子どもは、生涯にわたって父親と良い関係を築けないか、あるいはまったく連絡を取らなくなる可能性があるのです。
もちろん、父親が子どもに母親への反感を抱かせる場合も、同じことがいえます。
親の本当の姿を映し出していくのが難しい理由は、もう一つあります。
それは親の理想化です。子どもは生きていく上で、親を信頼し、「親は優れていて正しい」と思う必要があります。
間違いや悪意があるかもしれない親に身をゆだねることほど、耐えがたい不安はありません。そういうわけで、子どもには親を理想化する必要があるのです。
ただ、大人になっても変わらず親を理想化している人もいます。
親だって、強いところもあれば弱いところもありますが、親を理想化することによって、そうした親の本当の姿が見えなくなってしまうことがあるのです。
大人になっても親のことを「理想化」という眼鏡で見ていたら、健全な方法で親離れすることができません。
そして、それができなければ、人生の中で自分ならではの道を見つけていくことは難しくなります。
さらなる成長のためには、自分自身を知る必要があり、それには、自分自身と親のできる限り実際な姿を映し出していくことが重荷になってくるのです。
実際的な姿は、深い愛情と対立するものではありません。
私は今と過去のありのままの両親を受入れ、愛し、尊敬することができるようになりました。
愛や尊敬の対象となるのに、完璧な存在や過ちを決して犯さない存在である必要はないのです。
どのような場合でも、愛についてこう言うことができます。
「完璧であるものしか愛せないとしたら、それは本当の愛ではない」ということを。
